網走監獄
動機
北海道に旅行しにいってよったので調べることにしました。
1 北海道と網走監獄
長い鎖国をくぐりぬけ、論争と内戦のあげく誕生した明治新政府には、近代国家として脱皮するための、さまざまな難題・課題がさし迫っていました。それは幕末から工藤平助の「赤えど風説考」林子平らの警告があります通り、ロシア測量艦長ガロウニンらの逮捕や、わが国船団の宰領高田屋嘉衛の抑留事件等が現実として起こっております。こうして、ついにアメリカ、ロシア、イギリスなどの列強が正式の通商・開国を求めてきました。とりわけ我が国にとって切日な問題は、北海道に最も近い樺太・千島伝いにロシアが次第に南下してくる危機感でありました。
明治新政府として、じょのロシアの南下を阻止、北の出入り口を止め、しっかりをかけ、わが国の領土「北海道」を守ろうとする政策、いわゆる「北門鎖鑰論」の主張を政策として、採ったのです。これが同時に北海道に対して国の基本的な政策でありました。屯田兵、殖民、囚人による開拓がそれであります。すでに幕末でも、北海道の開拓は道路の開削から手がけられ、八王子千人同心による蝦夷地の根室・釧路...