多くの言葉を費やさずとも、1枚の漫画が時代の世相や風俗を的確に言い当てていることがある。近世の日本において木版画で少部数の発行がなされていた漫画は、近代に入って起こった印刷技術の革新により、大量生産が可能になり、全国で同時期に大衆の目に入るようになった。つまり、漫画というものは、一般大衆に向けて描かれたものであり、「笑い」という大衆の共感を得て、大衆を納得させる役割を持っている。従って、その時代に顕著に現れた時代の感情のようなものを絵にしている面が強く、人々に与える影響も格段に大きい。
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そのほかにも、彼は足尾高山鉱毒事件へも関心を持っていた。一般的にも有名な足尾高山鉱毒事件とは、栃木県の足尾高山で廃棄する硫酸銅などの毒物が、渡良瀬川の上流の谷に廃棄され、下流地帯に大きな公害をもたらした事件である。それだけならまだしも、銅山の燃料や杭にするために山林をやたらに伐採したため、明治23年に渡良瀬川は大洪水を起こし、公害を広げたのである。同年の第1回衆議院議員選挙に出馬し当選した田中正造は、ただちに議会に質問書を提出しこの問題を訴えたのだが、最初は政府の誠意ある回答は得られなかった。小林清親は、田中正造が次に質問書を提出した時の様子を、『団団珍聞』の中で迫力ある表現で描いている。
この『団団珍聞』は自由民権運動の高揚とともに発行部数を増やしていき、風刺画・茶説・狂詩・狂句・狂歌・都々逸・川柳などで構成された内容は、先述したように藩閥政治への批判に満ち溢れており、更にその風刺画は多くの人に共感を与え人気を博した。しかし、皇室をも風刺の対象にするような鋭い批判精神があったため、しばしば政府による弾圧を招いた。
~ 風刺画でみる時代の世相風俗 ~
多くの言葉を費やさずとも、1枚の漫画が時代の世相や風俗を的確に言い当てていることがある。近世の日本において木版画で少部数の発行がなされていた漫画は、近代に入って起こった印刷技術の革新により、大量生産が可能になり、全国で同時期に大衆の目に入るようになった。つまり、漫画というものは、一般大衆に向けて描かれたものであり、「笑い」という大衆の共感を得て、大衆を納得させる役割を持っている。従って、その時代に顕著に現れた時代の感情のようなものを絵にしている面が強く、人々に与える影響も格段に大きい。
近代に入ると権力を批判する機能をもつ「風刺画」が加わり、大衆の支持を得た。近代の漫画が江戸の漫画と大きく違うのは、ジャーナリズムの中に発表の場を得た点にあるだろう。戯画浮世絵とは発行部数が違い、また、定期刊行で読者を拡大したことで、大きな影響力を持ったことも見逃せない。日本漫画の長い歴史の中で、漫画が「風刺」機能、特に、「権力への風刺」機能を最もダイナミックに発揮した最初の時期は、明治の自由民権期であると思われる。それはなぜだろうか。風刺漫画を短期間に大量に生み出す...