『大人たちと抑圧された太郎』
裸の王様 開高健
本作は、題名からも分かる通り、かの有名なアンデルセンによる童話、「はだかの王様」が、何らかの関係性を持つことは明らかである。
また、直接的に太郎が水面に顔を付けた部分の描写はなく、あえて水面から顔を上げた部分の描写だけがある。その部分に注目し、繰り返し読んでいった所、そこを境に太郎と大田夫人にある変化が現れるのが分かる。それらは、ぼくの目に映る肉体の生々しい描写や、それを用いた比喩を一つ一つ読み取っていくと明らかになるのだ。
この二つからは、アンデルセンによる「はだかの王様」の子供と同じように、太郎という存在が、作中で何らかの変化を与えるということが読み取れる。ここでの太郎によって及ぼされた変化が、本作の主題とどのように関係してくるのか、論じていきたい。
一つ目は、本作と、アンデルセンの「はだかの王様」が、どのように関係しているのかについてだ。
本作は、アンデルセンの「はだかの王様」のオマージュである。それを意識して読み進めていくと、全体的に見て、山口や太田氏は、自己を見失った大人であり、「はだかの王様」での王様として描かれている。また、...