コスモポリタニズムについての諸々の批判

閲覧数8,236
ダウンロード数1
履歴確認

    • ページ数 : 4ページ
    • 会員550円 | 非会員660円

    資料紹介

    コスモポリタニズムについての諸々の批判
    コスモポリタニズムとは
    (1)ヌスバウムの言葉から汲みとれたこと(要約)
    愛国主義が主張する諸価値(正義と平等、基本的人権の尊重、エスニシティ、ジェンダー、人種)は、国家に対する諸価値でしかないため、その諸価値の及ぶ範囲は国境内にとどまってしまう。その諸価値は、本来国家に限定されるものではなく、人間性の根本的な要素である理性と道徳的能力のはずであるから、このような道徳的に善きもの(単なる統治形態や世俗的な権力にではなく、全人類の人間性によって構成される道徳的共同体)にこそ第一の忠誠を誓うべきである(=コスモポリタン)。
    このことは、われわれの特殊な愛着や(民族やジェンダー、宗教)を放棄することを意味しない。われわれのアイデンティティを部分的にそれらによって構成されたものとして考えてよい。
    しかし、そのためには、われわれ自身の思考をわれわれ自身の圏域に制限するべきではないのであり、生命や、自由、幸福追求に対するほかの人々の権利を最大限真剣に考えなければならないし、われわれの人間性を規定するものに特別な注意と尊敬を払うよう努めるべきである。また、異なったものについて共通の目標や志、価値を認めるために十分学ばねばならず、そしてこれらの共通の目標について、それらがいかにさまざまな仕方で多くの文化や歴史の中で例示されているかを学ばなければならない。
     コスモポリタニズムは、愛国主義の暖かく心地よい感情とは異なり、しばしば孤独であり、それはただ理性と人間性への愛のみを提供するが、その生活は退屈であったり平板であったり、愛がなかったりするとは限らない。
    (2)疑問点&感じたこと
    ●自分のアイデンティティを地球におくとはどういうことか。 
    ●違うものを通じてこそ自分を意識する。
    ●世の中における差異は無限であり、想像を超える人物が存在する。それゆえ、そのような予想を超える人物と出会ったときにどのようにその他者と接するかということにこそ意味がある。
    ●たまたま背負ってるものに対して相手を優劣することを克服することにこそ、意味がある。
    ●他者に「気を使う」ということは、非常に主観的であり他者を認めていないことと同じ。
    コスモポリタニズムに関する諸批判
    (1)他者を想像することの困難さ(エレイン・スカリーの批判)
    批判①他者の痛みを知らずにすませることはあまりにも簡単だという事実(危害を加えることの容易さ)は他の人間を想像するわれわれの能力が極めて劣っていることのあらわれ。
    批判②想像した事物は知覚された事物のような活力、生き生きとした性質をもたない
    ※「他者を想像することの困難さ」(上書、p167~187)では、上記のような寛大な想像(=感情)からよりも、自分の重みを全ての他者と同じようになくしてしまうことによって、つまり、法を作ることによって、自己と他者との平等がより達成される、と述べている。
    ☆しかし、「法をつくる」過程においては最低限の想像力が必要になってくるのではないか?
    (2)憲法への忠誠(ベンジャミン・R・バーバーの批判)
    批判①愛国主義の感情を、「正義と権利という本質的価値」によってまさしく規定された憲法の枠組みに接合することに成功したアメリカの実験を過小評価している。
    批判②人々から根を奪う世界においてアイデンティティの政治が果たす人間化の重大な役割を過小評価している。
    ※郷党心がコスモポリタンにいたるもっとも確かな道である。
    ←アメリカの国民的アイデンティティが、自分達が根を失うことと再び根付くことの新奇な過

    資料の原本内容 ( この資料を購入すると、テキストデータがみえます。 )

    コスモポリタニズムについての諸々の批判
    コスモポリタニズムとは
    (1)ヌスバウムの言葉から汲みとれたこと(要約)
    愛国主義が主張する諸価値(正義と平等、基本的人権の尊重、エスニシティ、ジェンダー、人種)は、国家に対する諸価値でしかないため、その諸価値の及ぶ範囲は国境内にとどまってしまう。その諸価値は、本来国家に限定されるものではなく、人間性の根本的な要素である理性と道徳的能力のはずであるから、このような道徳的に善きもの(単なる統治形態や世俗的な権力にではなく、全人類の人間性によって構成される道徳的共同体)にこそ第一の忠誠を誓うべきである(=コスモポリタン)。
    このことは、われわれの特殊な愛着や(民族やジェンダー、宗教)を放棄することを意味しない。われわれのアイデンティティを部分的にそれらによって構成されたものとして考えてよい。
    しかし、そのためには、われわれ自身の思考をわれわれ自身の圏域に制限するべきではないのであり、生命や、自由、幸福追求に対するほかの人々の権利を最大限真剣に考えなければならないし、われわれの人間性を規定するものに特別な注意と尊敬を払うよう努めるべきである。また、異な...

    コメント0件

    コメント追加

    コメントを書込むには会員登録するか、すでに会員の方はログインしてください。