1――「凶悪化」という論調
少年たちの凶悪な事件が続いている。神戸で中学二年生が小学生を惨殺する事件(一九九七年)がおこり、二〇〇〇年には、愛知県豊川市の主婦刺殺事件(五月一日)、佐賀バスジャック殺人事件(五月三日)、岡山の金属バット殺傷事件(六月二一日)、大分の一家六人殺傷事件(八月一四日)と続いた。いずれも高校生によるものだった。マスコミはその度に、少年犯罪が凶悪化していると言いたててきた。
少年犯罪凶悪化報道は最近のことではない。一九八〇年代もつづけられていたことである。少年による凶悪な犯罪事件や、学校での暴力事件などが大きくとりあげられ、そして身近でクソババア・クソジジイなどと罵られる場面を体験すると、そういう見聞がいっしょになって、多くの人たちは「少年の凶悪化」を「実感」することになる。少し変わった風体の若者に出会うと、恐しくなる。
しかし少年凶悪化現象の実態は非常に曖昧なままになっている。いくつかの部分的な事実や言説をもとにして、想像がふくらんで、少年恐怖症(youth phobia)が社会に広がっている。私はすでに一〇年近く前に少年犯罪凶悪化は単純な事実ではなく、統計の上で見るならば、少年による凶悪犯罪は大きく減少していると書いた。すなわち、「凶悪犯」とは殺人、強盗、強姦、放火犯の四種を指すが、その少年検挙者総数は、一九六〇年の八一一二人をピークとして、八七年には一六三〇人にまで減少している。[1]
もちろん、だから安心していい、騒ぎ立てるな、と書いたのではない。件数としては明らかに減っているのに、身近に少年犯罪が迫ってきているように感じるのはなぜか、問うべきは少年犯罪の質の変化がどのようにあるのかないのか、なのである。少年犯罪の傾向については、たくさんの論述が行なわれてきた。
ノルト キクラ は凶悪化しているか
Juvenile Crimes are Getting Vicious, Really?
奥平康照 本学人間関係学部教授
1――「凶悪化」という論調
少年たちの凶悪な事件が続いている。神戸で中学二年生が小学生を惨殺する事件(一九九七年)がおこり、二〇〇〇年には、愛知県豊川市の主婦刺殺事件(五月一日)、佐賀バスジャック殺人事件(五月三日)、岡山の金属バット殺傷事件(六月二一日)、大分の一家六人殺傷事件(八月一四日)と続いた。いずれも高校生によるものだった。マスコミはその度に、少年犯罪が凶悪化していると言いたててきた。
少年犯罪凶悪化報道は最近のことではない。一九八〇年代もつづけられていたことである。少年による凶悪な犯罪事件や、学校での暴力事件などが大きくとりあげられ、そして身近でクソババア・クソジジイなどと罵られる場面を体験すると、そういう見聞がいっしょになって、多くの人たちは「少年の凶悪化」を「実感」することになる。少し変わった風体の若者に出会うと、恐しくなる。
しかし少年凶悪化現象の実態は非常に曖昧なままになっている。いくつかの部分的な事実や...