構造改革

閲覧数1,791
ダウンロード数12
履歴確認

    • ページ数 : 3ページ
    • 会員550円 | 非会員660円

    資料紹介

    構造改革とは何か2001年3月15日。テレビ朝日のニュースステーションのゲストが息巻いていたのをちらりと見て、どうやら世に言う構造改革とは、産業構造の改革と銀行の不良債権の問題と、対にして使われる言葉のようである。犠牲が出るとか、痛みを伴うとか言うのは、バブル崩壊によって瀕死の状態からいまだに脱しきれない産業はつぶれても仕方がないということのようだ。銀行について今まで何度も公的資金の投入や救済合併が繰り返されたにもかかわらずまだ言われるというのは、株が下がってきたことで銀行の含み資産が減ってまたもや金融危機が海外で言われ始めたことに依るようだ。今までの自民党の政策が財政による公共投資一辺倒だったのを、問題の先送りという表現で批判しているのである。そしてこの批判はリチャード・クー氏と植草氏以外の殆どのエコノミストが言っていることなのだ。唯私が思っていたのと違うところは、財政改革は必ずしも皆が唱えているわけではないようだ。 しかし少なくとも赤字国債による公共投資には賛成でない点では共通している。つぶれても仕方がない産業として上げられるのは、建設、不動産、流通である。建設と不動産については、バブルに直結した業種であり、倒産が多かったからはっきりしているが、流通を仲間に入れているのは、そごうとダイエーを頭においてのことだろうが、馬鹿としか言い様がない。これが経団連会長の今井氏の言葉だから恐れ入ってしまう。これは消費が低迷していることに最大の原因があるので、建設に偏った公共投資の絶対額が足りないか、金融機関の貸し付け回収の過大か、どちらかのために、企業のリストラで委縮した消費を立て直すまでにはいかないのだと私は思う。これらの人たちは、不況対策などたいした効果はないのだから、市場原理に委せたほうが効率的だというのだ。

    資料の原本内容 ( この資料を購入すると、テキストデータがみえます。 )

    構造改革
    構造改革とは何か2001年3月15日。テレビ朝日のニュースステーションのゲストが息巻いていたのをちらりと見て、どうやら世に言う構造改革とは、産業構造の改革と銀行の不良債権の問題と、対にして使われる言葉のようである。犠牲が出るとか、痛みを伴うとか言うのは、バブル崩壊によって瀕死の状態からいまだに脱しきれない産業はつぶれても仕方がないということのようだ。銀行について今まで何度も公的資金の投入や救済合併が繰り返されたにもかかわらずまだ言われるというのは、株が下がってきたことで銀行の含み資産が減ってまたもや金融危機が海外で言われ始めたことに依るようだ。今までの自民党の政策が財政による公共投資一辺倒だったのを、問題の先送りという表現で批判しているのである。そしてこの批判はリチャード・クー氏と植草氏以外の殆どのエコノミストが言っていることなのだ。唯私が思っていたのと違うところは、財政改革は必ずしも皆が唱えているわけではないようだ。 しかし少なくとも赤字国債による公共投資には賛成でない点では共通している。つぶれても仕方がない産業として上げられるのは、建設、不動産、流通である。建設と不動産に...

    コメント0件

    コメント追加

    コメントを書込むには会員登録するか、すでに会員の方はログインしてください。