「憲法の定める自由権について述べよ」
日本国憲法は、昭和20年8月にポツダム宣言を受諾した後、連合国最高司令官マッカーサー元師による憲法改正案を基に、昭和21年11月3日に公布され、昭和22年5月3日に施行された。日本国憲法の基本原理には、国民主権、平和主義、基本的人権の尊重であり、基本的人権の一つに、自由権が定められている。国民が国から制約を受けずに、自由に考え、行動できることを保障しており、精神的自由権、経済的自由権、身体の自由権に大別けされている。私は、精神的自由権に焦点を絞り考えていく。
【19条 思想・良心の自由】
思想・良心の自由とは、内心にとどまる限りこれを絶対に侵してはならないのである。
思想と良心の違いとはなにか。思想は、心に思い浮かべること、良心とは、善悪・正邪を判断し行動しようとする心の働き、というように意味は異なる。しかし、思想も良心も人の内心であり、一般的に区別できないとされている。
内診は文章や高等にして打ち明けないかぎり、誰にも理解されない。内心に限界はないのである。限界がないものを、どのように保障するのか。
(判例 謝罪広告強制事件)
衆議院選挙に際して他の候補者(上告)の名誉を毀損した候補者(被告)が、裁判所から、民法723条に基づいて、陳謝の意を表する旨の謝罪広告を公表することを命ずる判決を受けたことから、謝罪を強制することは、思想・良心の自由の保障に反するとし争った事件。
ここで大切なのは、謝罪広告を命じることは、思想・良心の自由を侵害するかである。上告の名誉を保障するために、相違を改めて謝罪をするよう裁判所は命じたが、被告の内心を改めるように命じていない。内心を制約も侵害せず、内心の沈黙が守られた。
【20条 信教の自由、政教分離】
信教の自由とは、宗教を信仰する、信仰しない、信仰する宗教を選択する、変更するについて決定する自由、宗教上の祝典、儀式、行事などを行う自由、特定の宗教を宣伝し、共同で宗教的行為を行うことを目的とする団体を結成する自由である。ただし、宗教上の行為は、人の基本的な権利及び自由を保護するために、信教は誰からも強制されてはならないのである。
【政教分離】
特定の宗教が、国から特権を受けることを禁止するための原則である。ただし、クリスマス、節分のように、一般人が宗教活動だと認識していない行事は、宗教との関わりを否定できないことから、現代国家は、制限分離という意識が高い。
ここで大切なのは、制限分離の制限は何かである。宗教とのかかわり合いをもつすべての行為ではなく、その行為の目的が宗教的意義を持ち、その効果が宗教に対する援助、助長、促進、又は圧迫、干渉等になるような行為は許されないということである。
【23条 学問の自由】
学問の自由とは、学問の研究の自由、研究の発表の自由、教授に認められる教育の自由である。ただし、近年問題になっている、社会に危険を及ぼす可能性のある人クローンの研究は、人権及び生命を保護するのに、必要最小限の法律で規制されている。
【大学の自治】
大学が学外の機関や政治勢力から干渉を受けずに、教育・研究に関する事項を自主的に管理・運営するという原則である。学長・教授その他の研究者の人事の自治と、施設・学生の管理の自治のような、大学内部に関することが認められている。保障されるのは、大学の内部行政に関する自主的な決定なのである。
【21条 集会・結社・表現の自由】
表現の自由とは、精神的自由の中でも優越的な地位にあり、民主主義の前提である。
個人が言論を通じて人格
「憲法の定める自由権について述べよ」
日本国憲法は、昭和20年8月にポツダム宣言を受諾した後、連合国最高司令官マッカーサー元師による憲法改正案を基に、昭和21年11月3日に公布され、昭和22年5月3日に施行された。日本国憲法の基本原理には、国民主権、平和主義、基本的人権の尊重であり、基本的人権の一つに、自由権が定められている。国民が国から制約を受けずに、自由に考え、行動できることを保障しており、精神的自由権、経済的自由権、身体の自由権に大別けされている。私は、精神的自由権に焦点を絞り考えていく。
【19条 思想・良心の自由】
思想・良心の自由とは、内心にとどまる限りこれを絶対に侵してはならないのである。
思想と良心の違いとはなにか。思想は、心に思い浮かべること、良心とは、善悪・正邪を判断し行動しようとする心の働き、というように意味は異なる。しかし、思想も良心も人の内心であり、一般的に区別できないとされている。
内診は文章や高等にして打ち明けないかぎり、誰にも理解されない。内心に限界はないのである。限界がないものを、どのように保障するのか。
(判例 謝罪広告強制事件)
衆議院選挙に...