「カウンセリングの歴史と課題について述べ、これからのカウンセラーに必要な資質とは何か述べよ。」
「カウンセリング」という言葉を聞いて想像することは、自分の力ではどうする事も出来ない悩みを抱えている人に対して、話を聞き、前進出来るように助言をする事である。漠然としすぎている為、辞典で調べてみる。大辞林で「カウンセリング」を調べてみると「専門的な手続きに基づく相談。また、その技法。個人のもつ悩みや不安などの心理的問題について話し合い、解決のために援助・助言を与えること」とある。大辞泉で調べてみると「学業や生活、人間関係などで悩みや適応上の問題をもつ人に対して、心理学的な資料や経験に基づいて援助すること」とある。共に相談に乗り、助言・アドバイスをする事を指しているが、聞き手が心理学に通ずる専門家であり、肝心なのはその人に代わって問題解決してあげるのではなく、自力で解決出来るように、側面から支援して行くことなのである。自己実現、自己発見を促すことが狙いなのである。
人間は生まれた瞬間から独りきりである。家族の中に居ても、多くの友達に囲まれていても、結婚して夫婦になったとしても、自分と一寸違わず同じ考え方、感じ方を持っている他人は存在しないのである。だからこそ、生きていく中で不安になったり、悩みを抱えたりするのである。現代社会に生きる人々は不安と共に生きているのである。カウンセリングは、たった一人の存在である自分を前向きに生きるように導いてくれる特効薬の様なものであって欲しいと望んでいる。
1、カウンセリングの歴史
カウンセリングの起源は20世紀初頭のアメリカにあるといえる。その起こりは職業指導、教育測定、精神衛生の3つの運動によるものである。
職業指導運動とは、1908年にボストン職業局を創設し、ハイスクール卒業生に適材適所への就職を勧めた運動である。創設者フランク・パーソンズは、その職業指導を個人の分析、職業の分析、個人と職業の結合の3段階とし、「丸い釘は丸い穴へ」というスローガンをもって進めた。これが現代カウンセリングの基礎の一部となっている。
教育測定運動は、フランスのアルフレッド・ビネーが知的障害児を判別する為の知能検査を作った所から始まる。1916年、スタンフォード大学のL・M・ターマン教授がアメリカの児童に用いる為に、それに手を加え「スタンフォード・ビネー知能検査」と名付け、発表した。運動は急速に広がり、1930年代に最盛期を迎えるまで、教育指導の有力な方法として用いられるようになった。
精神衛生運動は、クリフォード・ビアーズによって提唱された。彼は1908年に「わが魂にあうまで」という自身の精神病体験を記した自伝を発表し、州立病院の改善を世に訴えた。翌年「全国精神衛生協会」を設立する。
以上の3つの運動が起源となり、第二次世界大戦後、カウンセリングは治療的なものに発達して行くのである。特にC・R・ロジャーズは「カウンセリングと心理療法」を記し、その中で診断や測定より過程を重要視し、この考え方によりカウンセリング、治療教育的ガイダンス、心理療法が統合的に捉えられるようになった。
ロジャーズはクライエントの自己成長能力を重視し、カウンセラー側からの指示を極力排除すべきという考え方を持っていた。クライエントを客観的に捉えて操作するのではなく、クライエント自身を主体的な存在として捉え、自らの手で答えを探し出すように導いたのである。日本のカウンセリングは、ロジャーズの影響を強く受けている。カウンセリングの姿勢・視点として「非指示的」、「クライエント中
「カウンセリングの歴史と課題について述べ、これからのカウンセラーに必要な資質とは何か述べよ。」
「カウンセリング」という言葉を聞いて想像することは、自分の力ではどうする事も出来ない悩みを抱えている人に対して、話を聞き、前進出来るように助言をする事である。漠然としすぎている為、辞典で調べてみる。大辞林で「カウンセリング」を調べてみると「専門的な手続きに基づく相談。また、その技法。個人のもつ悩みや不安などの心理的問題について話し合い、解決のために援助・助言を与えること」とある。大辞泉で調べてみると「学業や生活、人間関係などで悩みや適応上の問題をもつ人に対して、心理学的な資料や経験に基づいて援助すること」とある。共に相談に乗り、助言・アドバイスをする事を指しているが、聞き手が心理学に通ずる専門家であり、肝心なのはその人に代わって問題解決してあげるのではなく、自力で解決出来るように、側面から支援して行くことなのである。自己実現、自己発見を促すことが狙いなのである。
人間は生まれた瞬間から独りきりである。家族の中に居ても、多くの友達に囲まれていても、結婚して夫婦になったとしても、自分と一寸違わず...