私は、実践とは、目的を定め、目的へ到達する手段をいくつも考え、可能であるものを選択する、以上が本人の頭の中で計画したことであるが、これらの計画がうまくいく可能性はともあれ、現実化することが実践の意義であると考えた。アリストテレスのニコマコス倫理学を通して「実践の意義」を考察していきたいと思う。
アリストテレスは『ニコマコス倫理学』で実践に関する一連の行動を「目的」「思量」「選択」の三段階に分けた。アリストテレスは、本人の望むことが善を意味するとしている。善き人にとっては真の意味における善が、悪しき人にとっては任意のものが願わしきものとなる。つまり、各人の状態によって「目的」が異なるのである。その「目的」へ達するための手段を状況に応じて考えることが「思量」である。アリストテレスは「我々が思量するのは、我々の力の範囲内に属し、我々のなしうるところの事柄に関してである」と述べている。つまり、自分自身が現実としてできること、常識的な範囲内の手段を考えることであるということであろう。そして、自分自身の出来る範囲の手段から願望を実現できる手段を「選択」するのである。
例えば、私は現在空腹であ...