「心の時代」というのは、実は「心のモノ化、商品化の時代」である。「心の商品化」を進めているのが、臨床心理学者や臨床心理士などの「心の専門家」である。従来、お金で売り買いできないものとされてきた心を独占的に商品化していること自体に問題を孕んでいるが、その商品たるカウンセリング自体が内包している問題も大きい。カウンセリングは、個人や社会の問題を個人の心のレベルに留め置き昇華させる営みである。それゆえ、外部の社会システムの現状維持がはかられる、いわば体制迎合的なものである。人に心の相談をする行為は、高度消費社会となった昨今でも、商行為とはなりがたい最後の私的な行為である。それなのに、それがカウンセリングという商業行為あるいは公的なものになっていき、更にカウンセリングの効果を半ば盲目的に礼賛し、心の専門家を配置しようとする昨今の社会には疑問を感じざるを得ない。カウンセラーとは個人主義社会であるアメリカ合衆国で広く認められた職業であるが、日本のように集団主義社会では,その内容に疑問が発生する。本来、悩みの相談と言うものは、家族や同年代の友人、ご近所の有識者・高齢者、同じ痛みを共有する人にするものである。彼らはカウンセリングのプロでもなんでもない。しかし、それが一番解決につながるということは、日本人は肌で知っているはずである。客観的な立場で第三者が人の悩みに立ち入るのは、本当に問題の解決になるのであろうか。ましてやその第三者が「専門家」を名乗りお金を取るなんて持ってのほかである。「心のケア」や「癒し」に専門家が登場してくることは,消費社会の爛熟,消費主義埋没の問題であることははっきりしている。
「心の時代」というのは、実は「心のモノ化、商品化の時代」である。「心の商品化」を進めているのが、臨床心理学者や臨床心理士などの「心の専門家」である。従来、お金で売り買いできないものとされてきた心を独占的に商品化していること自体に問題を孕んでいるが、その商品たるカウンセリング自体が内包している問題も大きい。カウンセリングは、個人や社会の問題を個人の心のレベルに留め置き昇華させる営みである。それゆえ、外部の社会システムの現状維持がはかられる、いわば体制迎合的なものである。人に心の相談をする行為は、高度消費社会となった昨今でも、商行為とはなりがたい最後の私的な行為である。それなのに、それがカウンセリングという商業行為あるいは公的なものになっていき、更にカウンセリングの効果を半ば盲目的に礼賛し、心の専門家を配置しようとする昨今の社会には疑問を感じざるを得ない。カウンセラーとは個人主義社会であるアメリカ合衆国で広く認められた職業であるが、日本のように集団主義社会では,その内容に疑問が発生する。本来、悩みの相談と言うものは、家族や同年代の友人、ご近所の有識者・高齢者、同じ痛みを共有する人にするもの...
2点目に、本来は周りの人間に相談することが一番の解決であると書かれていますが、それではなぜカウンセラーが現在の地位まで上りつめたのでしょうか。本来不必要なものが、必要となった必要となってしまった背景、この状況から今後どのように脱却していけばいいか。など書いてみてはいかがでしょうか。
感じたことをすき放題書いてみました。これからもがんばってください。