の本は、戦後日本の歴史学界において、早くから日本のアジア諸国に対する侵略の責任を問い続けてきた著者が、朝鮮に対する侵略政策の実態と、その背景となる近代日本の朝鮮観を明らかにすることを目的として書かれたものである。8章の構成になっているので、1つ1つ見ていくことにしたい。
1 問われる現代日本の歴史認識
今日の日本における侵略戦争や植民地支配に対する認識に疑問を投げかけられている。著者はまず太平洋戦争開始五十周年にあたって、日本の軍事大国化を懸念するアジア諸国の新聞論調を紹介する。日本の基礎には「第二次世界大戦の前からその後にかけても、かたくなに引き継がれて現在にいたる日本政府の歴史認識がある」と批判している。さらに82年の歴史教科書問題を決着させるための政府見解で引用された「日韓共同コミュニケ」(65年)の精神こそが、教科書記述の歪曲を迫るものであったことを論証し、86年の藤尾発言を批判する形で巧妙に提出された「昭和天皇平和主義者論」や、改憲論に立つ教科書『新編日本史』などに見られる歴史認識の独善性を指摘しつつ、こうした「歴史の偽造」を非難するアジア諸国の声に対し、過去に日本がやったことに目をそむけず、なぜそういうことがおこなわれたのか、そのよって来るところを歴史的に検討することを訴えている。
~中塚明『近代日本の朝鮮認識』研分出版(1993)を読んで~
この本は、戦後日本の歴史学界において、早くから日本のアジア諸国に対する侵略の責任を問い続けてきた著者が、朝鮮に対する侵略政策の実態と、その背景となる近代日本の朝鮮観を明らかにすることを目的として書かれたものである。8章の構成になっているので、1つ1つ見ていくことにしたい。
1 問われる現代日本の歴史認識
今日の日本における侵略戦争や植民地支配に対する認識に疑問を投げかけられている。著者はまず太平洋戦争開始五十周年にあたって、日本の軍事大国化を懸念するアジア諸国の新聞論調を紹介する。日本の基礎には「第二次世界大戦の前からその後にかけても、かたくなに引き継がれて現在にいたる日本政府の歴史認識がある」と批判している。さらに82年の歴史教科書問題を決着させるための政府見解で引用された「日韓共同コミュニケ」(65年)の精神こそが、教科書記述の歪曲を迫るものであったことを論証し、86年の藤尾発言を批判する形で巧妙に提出された「昭和天皇平和主義者論」や、改憲論に立つ教科書『新編日本史』などに見られる歴史認識の独善性を指摘しつつ、こうした...