出雲国風土記2

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    資料紹介

    出雲国風土記については、現存する最古、そして唯一の完本の風土記であること以上には特に知識や印象を持ち合わせていなかった私であったが、この機に現代語訳を初めから終わりまで通読し、その内容の端緒に初めて触れることができた。八束水臣津野命の「八雲立つ」という言葉が登場する総記から幕を開けるこの出雲国風土記を読み進めて行くうちに、1300年前の出雲の人々が、いかに自らの住む土地に神々が息づいているさまを感じ取り、そしてその神々のもたらした恩恵であり所産である植物や動物とのつながりを尊んでいるのかを、その文章から肌で感じていたような気がする。私が学んで、或いは教えられてきた歴史や地理というものは、単なる客観的な結果や年号、地名の暗記がほとんどだったが、遠い昔にこの一風土記に描かれ、今も変わらず出雲という土地が記憶している神々の言葉やふるまいとそれに伴う自然の成り立ち、そういった自然世界への人々の畏怖と尊敬、また人間と共に土地に住まうすべてのものとの調和を目指す精神、歴史や地理を学ぶ際にこういったものたちに思いを馳せる経験こそ、そのような学業を修めることの本質的な目的ではないかとも今は思える。
    ともあれ、私はこうして出雲国風土記の全訳注を読み終えて前記のようなことに思い至ったわけであるが、古代人が数十年の短い寿命の一部を捧げ、その足だけを頼った大変な編纂作業を経て整備・完成されたこの風土記は、単なる解文の域を超え、そういった未曾有の困難にふさわしい価値を持つものとして今に残っている。講談社文庫の全訳注の「まえがき」ではこの風土記が独自性をもったひとつの「書」であるとしているが、この本を通読し終わったときに受けたえもいわれぬ感慨や心に頑として残る情景は、「書」の裏表紙を閉じた後のそれと言うに相違ないと感じた。とはいえ私の受けた感銘は、まだ自分でも纏め上げることのできない漠然としたものであるから、それを整理して伝える意味も込めて、そうした「書」としての出雲国風土記のなかで心に残ったエピソードを挙げてみようと思う。
    古代の人々にとっての「出産」が何らかの神秘的な意味を持つということは、知識として知っていたと同時に、感覚でもって漠然と感じてもいた。妊娠・出産という一連の生体現象は、現在の私たち女性にも全く変わらずに受け継がれているものである。しかし、ひとつの個体にもうひとつの新しい命が造られやがて人間として同じ世界に生を受ける、その行程への不思議さ、どこか神がかりな印象は、進歩した科学的な説明をもってしても、容易に拭い去れるものではない普遍的なものであるように思えてならない。この「出産」というテーマは出雲国風土記のなかに、重要な意味を持って幾度も登場する。例えば加賀の神埼の洞窟についての言及がそうである。枳佐加比売命は、「吾が御子、麻須羅神の御子に坐さば、亡せし所の弓箭出で来」と「うけひ」の言葉を言い放ち、そののちに流れてくる金の弓矢を自ら引いて暗い洞窟の内部を射通すが、そのさまに、同項目の「解説」にもあるとおり、出産やその前段階の妊娠というものに対してこの母神が力強い主体性をもって働きかけているという印象を受けた。金の弓矢の前に流れ着くそれを、「此は弓箭に非ず」と言って投げ捨てる行動からも、この母神の、ひいては神々そして人間の生誕を決定付ける妊娠・出産に際しての出雲古代人の、女性という性を見つめる視点が深く見受けられるのではないか。そこに映るのは、男性性が「生む」ために娶られる客体としての性ではなく、命を「産む」という、万物の始まりであり根源的で神秘的な現象をごく

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    出雲国風土記については、現存する最古、そして唯一の完本の風土記であること以上には特に知識や印象を持ち合わせていなかった私であったが、この機に現代語訳を初めから終わりまで通読し、その内容の端緒に初めて触れることができた。八束水臣津野命の「八雲立つ」という言葉が登場する総記から幕を開けるこの出雲国風土記を読み進めて行くうちに、1300年前の出雲の人々が、いかに自らの住む土地に神々が息づいているさまを感じ取り、そしてその神々のもたらした恩恵であり所産である植物や動物とのつながりを尊んでいるのかを、その文章から肌で感じていたような気がする。私が学んで、或いは教えられてきた歴史や地理というものは、単なる客観的な結果や年号、地名の暗記がほとんどだったが、遠い昔にこの一風土記に描かれ、今も変わらず出雲という土地が記憶している神々の言葉やふるまいとそれに伴う自然の成り立ち、そういった自然世界への人々の畏怖と尊敬、また人間と共に土地に住まうすべてのものとの調和を目指す精神、歴史や地理を学ぶ際にこういったものたちに思いを馳せる経験こそ、そのような学業を修めることの本質的な目的ではないかとも今は思える。
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