アジアと日本
──「靖国問題」という視点から──
1.はじめに
戦火はまたたく間にその災いの波紋を拡げて行くが、しかしながら、のちに見ればわずかだと言えるような食い違いや相違がそのきっかけとなる場合がある。そういった些細な認識の違いやズレが大きな戦禍を呼び起こし得るのならば、私達がいま考察し実行すべきであり、またそれが可能であることとは一体どういったものであるだろうか。今回は、日中関係、またそのなかでも今世間で頻繁に取り沙汰されている「靖国問題」に着目して、上述のような観点に基づきながら考察・分析していきたい。なお、参考にした新聞・ウェブサイトを以下に記述する。
・毎日新聞
・人民網 日本語版(http://j.peopledaily.com.cn/)
2.中国と日本との「ズレ」
「靖国問題」と一口に言っても、その内容は様々な様相を見せている。まずはこの問題に対しての、両国の認識の相違について考察しようと思う。
靖国神社へ祭られる資格のあるものは、「官軍の戦没者、ならびに昭和国事殉職者」とされている。これは、国事に関わる戦争において官軍側で殉職した者のことを言い、東条英機や板垣征四郎などのA級戦犯は、「国家に殉じ命を落とした昭和殉職者」という扱いを受けている。神道においては、招魂式から始まる合祀祭を経て祭られたものは、戦犯などといった分け隔てなくみな「神様」とされ、参拝の対象とされるとしている。これは「死ねば靖国の神になる」「靖国で会おう」といった戦時中によく用いられた言葉が表すように、民間レベルで認識されてきた考え方であろう。戦犯の罪を認識しつつも、その一方で祭祀に対する日本人の認め方の根底には、多少の差があるにせよ神道の思想が流れていると言える。このことは、世論のアンケートからも垣間見える。
一方で、A級戦犯に対する中国側の主だった考え方は、日本側のそれとは大きく異なっている。A級戦犯は単なる個人ではなくなり、殺人者としての罪悪の象徴であるという考え方である。戦犯の名前は、すなわち人類への悲惨な罪を象徴し、殺戮の歴史そのものであるというこういった見解は、中国の一貫した主張の原動力ともなっている。
また、歴代の首相参拝についての日中間の認識のズレは明確である。日本では三木首相が75年の終戦記念日に参拝したのを転機として終戦記念日の「私的参拝」を、意味をぼかしながらも続けてきたが、85年に中曽根首相によってなされた「公的参拝」は、中国や韓国の強い反発を招いて翌年には取り止められることになったのである。以来、橋本首相を除けば森前首相までは参拝はなされなかったが、小泉現首相は「私的参拝」という名目で、いずれも終戦記念日ではないが現在までで4度参拝をしている。日本の歴代の靖国参拝に関してその主となる理論をまとめると、
①私的参拝、又は名目上の私的参拝主張の立場:私人としての参拝は自由、公的支出はなし。
②公的参拝の立場:戦没者の追悼を目的にし、宗教的意義のないよう参拝すれば違憲ではない。
となる。
これに対して中国は、靖国参拝という事実をアジア全体に関与する国際的問題と捉え、同時に、法的な問題提起に加えて、感情・情緒的訴えを起こしている。具体的にまとめると、「靖国への記念は、もはやアジアの人民にとっては侵略者の罪悪に対する記念と言え、中国をはじめとするアジアの惨劇を指揮した戦犯を参ることは、アジアの人々の感情をさらに傷つける結果となる。加えて、政治家の一挙一動には、一般人とは異なる象徴的意味合いがある。」というものである。日本が、内政不干渉に基づいて
アジアと日本
──「靖国問題」という視点から──
1.はじめに
戦火はまたたく間にその災いの波紋を拡げて行くが、しかしながら、のちに見ればわずかだと言えるような食い違いや相違がそのきっかけとなる場合がある。そういった些細な認識の違いやズレが大きな戦禍を呼び起こし得るのならば、私達がいま考察し実行すべきであり、またそれが可能であることとは一体どういったものであるだろうか。今回は、日中関係、またそのなかでも今世間で頻繁に取り沙汰されている「靖国問題」に着目して、上述のような観点に基づきながら考察・分析していきたい。なお、参考にした新聞・ウェブサイトを以下に記述する。
・毎日新聞
・人民網 日本語版(http://j.peopledaily.com.cn/)
2.中国と日本との「ズレ」
「靖国問題」と一口に言っても、その内容は様々な様相を見せている。まずはこの問題に対しての、両国の認識の相違について考察しようと思う。
靖国神社へ祭られる資格のあるものは、「官軍の戦没者、ならびに昭和国事殉職者」とされている。これは、国事に関わる戦争において官軍側で殉職した者のことを言い、東条英機や板垣征四郎...