三島由紀夫に見るナルシシスム――――『仮面の告白』を中心に

閲覧数5,280
ダウンロード数13
履歴確認

    • ページ数 : 18ページ
    • 会員550円 | 非会員660円

    資料紹介

    三島由紀夫に見るナルシシスム
    ――――『仮面の告白』を中心に
    序章 「ナルシシスト」三島由紀夫 4
    第一章 自伝的小説としての『仮面の告白』 4
    第二章 「聖セバスチャン」と「悲劇的なもの」への同一化願望 6
    第三章 「近江」と「園子」 7
    第四章 ナルシシスムとマゾヒスム 10
    第五章 三島由紀夫の「ナルシシスム論」 13
    第六章 コンプレックスと同一化願望 15
    第七章 ナルシシスム的衝動 16
    終章 17
    <註記> 18
      序章 「ナルシシスト」三島由紀夫
     三島由紀夫の生き方や作品について「ナルシシストだ」、「ナルシシスムだ」と言われるのをよく耳にする。しかしそれはあくまで世間からのよく聞く感想であり、その理由を耳にした記憶はほぼ皆無と言ってよい。恐らく文壇で活躍していた当時の作家、またそれまでの作家の中で、最もメディアなどに露出していたのは三島であろう。彼のほかに自ら映画に出演し、写真集を出した作家がいただろうか?  恐らくそういったことも世間に「自分好き」のイメエジを定着させ、尚且つ最後の自決の方法と、場所、シチュエーションが三島をナルシシストに仕立て上げるのを鮮明にしたのであろう 。
     ナルシシストといえば、エリートで容貌も美しく、自分を溺愛するというイメエジがある。しかし、その実強いコンプレックスがあり、自ら惹かれるように悲劇へ向かってゆくことが彼らのセオリーであると私は考える。なぜならば、ナルシシストの語源である美青年ナルシスは、己を愛するがために死を迎えたからである。(当然、ここにおける悲劇とは、美などを一切無視した、世間的な、一般的な不幸のことを指す。)この、悲劇に向かってゆくという構図は、三島の作品の主人公によく見られはしないだろうか。彼の代表的な作品の主人公たちは、一般的な幸福の概念から外れたものへ、悲劇的なものへと自ら突き進んでいる。たとえば『金閣寺』の青年僧の放火という結末は一般的に言って幸福ではないし、『禁色』の老人作家の自殺もそうであると言えよう。この悲劇に向かってゆく構図というのは、三島自身にも当てはまりはしないだろうか。その構図に、三島のナルシシスムが隠れてはいないだろうか?
     彼の何がナルシシスムなのか。それを知るには、彼の作品を通して見てゆくことが一番の方法であろうと思う。そして、それを始めるにあたって、彼の自伝小説といわれた『仮面の告白』を無視することはできないだろう。この作品には彼の生い立ち、恋、そして性に関する事柄など、三島を知る上で欠かせない貴重な記述が見られる。彼の「人生」と「作品」、両方の要素を持ち合わせたこの作品から、彼のナルシシスムという美学を発見できるに違いない。三島由紀夫の美学を、私が最も興味を惹かれるナルシシスムを中心に以下の稿で分析してゆきたいと思う。
      第一章 自伝的小説としての『仮面の告白』
     まずは、『仮面の告白』を三島の自伝小説であることを前提に論を進めるのであれば、この作品が実際に彼の自伝小説と呼べるもの、あるいはそれに近いものであるかを確認しなければならないだろう。
     昭和二十四年、七月、三島由紀夫二十四歳の年に、初めての長編書き下ろし小説として『仮面の告白』が上梓された。三島はそれを前にして、川端康成宛てに次のような書簡を送っている。
     十一月末よりとりかゝる河出の書下ろしで、本当に腰を据えた仕事をしたいと思つてをります。『仮面の告白』といふ仮題で、はじめての自伝小説を書きたく、ボオドレエルの『死刑囚にして死刑執行人』といふ二重の決心で、自己

    資料の原本内容 ( この資料を購入すると、テキストデータがみえます。 )

    三島由紀夫に見るナルシシスム
    ――――『仮面の告白』を中心に
    序章 「ナルシシスト」三島由紀夫 4
    第一章 自伝的小説としての『仮面の告白』 4
    第二章 「聖セバスチャン」と「悲劇的なもの」への同一化願望 6
    第三章 「近江」と「園子」 7
    第四章 ナルシシスムとマゾヒスム 10
    第五章 三島由紀夫の「ナルシシスム論」 13
    第六章 コンプレックスと同一化願望 15
    第七章 ナルシシスム的衝動 16
    終章 17
    <註記> 18
      序章 「ナルシシスト」三島由紀夫
     三島由紀夫の生き方や作品について「ナルシシストだ」、「ナルシシスムだ」と言われるのをよく耳にする。しかしそれはあくまで世間からのよく聞く感想であり、その理由を耳にした記憶はほぼ皆無と言ってよい。恐らく文壇で活躍していた当時の作家、またそれまでの作家の中で、最もメディアなどに露出していたのは三島であろう。彼のほかに自ら映画に出演し、写真集を出した作家がいただろうか?  恐らくそういったことも世間に「自分好き」のイメエジを定着させ、尚且つ最後の自決の方法と、場所、シチュエーションが三島をナルシシストに仕立て...

    コメント0件

    コメント追加

    コメントを書込むには会員登録するか、すでに会員の方はログインしてください。