~生命・身体に対する罪における人の始期、終期~
一 はじめに
行為の客体は堕胎の罪を除き「人」である。
この点に閲し、人の始期を確定する必要がある。堕胎の罪の行為の客体は胎児であり、堕胎の罪との関係で人と胎児を区別する基準の確定が重要だからである。
一方、人の終期を確定する必要もある。人が死亡すれば生命・身体に対する罪の客体とはならないから、原則として殺人・傷害等の罪は成立しないからである。
二 人の始期
1 人の始期は出生である。
出生前の生命体を胎児といい、胎児の生命は堕胎の罪によってのみ保護される。
<学説>
・陣痛説
出生の時期は、分娩作用の開始としての規則的な陣痛の始まった時である。
(理由)
「自然の分娩期に先立つ胎児の人工的排出」という堕胎の定義を前提とすれば、堕胎罪と殺人・致死傷罪の領域を「自然の分娩期」をもって区別すべきである
(批判)
①分娩開始の確認が困難②胎児がまだ母体内にあって、直接その生命・身体に対する攻撃の客体となりえない段階で、これに対する殺人罪まで認めることは、早きに失する
・一部霹出説(判例)
胎児の身体の一部が母体から露出した時が出生の時期である。
(理由)
①胎児が母体から一部でも露出すれば、これに対する直接的な侵害は可能であり人として保護されるべき。②一部露出中の「胎児」の肢体に直接侵害を加えたか否かを基準とすることにより堕胎と殺人の区別を容易にしうる。
(批判)
①母体内の胎児にも器具などを挿入して「直接」危害を加えることができる。②いったん一部が露出した後母体内に戻したら人でなくなるというのは不自然。③「人」という客体の範囲を独立侵害可能性という行為の態様によって決定するのは妥当でない。
・全部露出説
胎児の身体の全部が母体から露出した時が出生の時期である。
(理由)
①「人」として完全な姿になっている胎児が全部出てしまわないと「人」としての保護に値しない。②社会意識からみて自然である。
(批判)
①母体からほぼ全身が露出した嬰児を斬殺するのが堕胎であるとするのは、人の生命に対する保護が遅きに失し不合理である。②「胎児」が母体から分離後に死亡した場合、それに対する攻撃が一部露出後のものか全部露出後のものかの判定が困難。
・独立呼吸説
胎児が胎盤による呼吸をやめ、自己の肺によって呼吸を開始した時が出生の時期である。
(理由)
人として厚く保護するに値するのは自分で呼吸を開始した時点からで足りる
(批判)
①人の生命に対する刑法的保護が弱くなる。②呼吸開始の時点を確認するのが困難。
2 堕胎により排出された嬰児の殺害
<問題の所在>
堕胎により母体外に生きて排出された嬰児を作為・不作為により殺害した場合、その行為が堕胎罪とは別に殺人罪あるいは保護責任者遺棄致死罪を構成するかが問題となる。
<学説>
A説:排出後の生育可能性の有無により人と胎児を区別する説
(理由)
母体保護法上正当化される中絶により、胎児が生命を保ったまま排出された場合に、殺人罪あるいは遺棄致死罪が成立するおそれがあるが、これでは堕胎罪の存在自体の意味がなくなる。
(批判)
①生育可能性の有無・程度は、嬰児に対する保護責任を判定する要素ではあるが、人か胎児かを判定する要素ではありえない。②母体保護法の認める許容範囲は中絶行為までであって、たとえ生命保続の可能性がないとしても、母体外へ生きて生まれた客体への侵害をも許容するものとはいえない。
(罪責)殺人罪または堕胎罪
B説:一部露出した以上、生育可能性を問わず「人」と扱う説
(理由
~生命・身体に対する罪における人の始期、終期~
一 はじめに
行為の客体は堕胎の罪を除き「人」である。
この点に閲し、人の始期を確定する必要がある。堕胎の罪の行為の客体は胎児であり、堕胎の罪との関係で人と胎児を区別する基準の確定が重要だからである。
一方、人の終期を確定する必要もある。人が死亡すれば生命・身体に対する罪の客体とはならないから、原則として殺人・傷害等の罪は成立しないからである。
二 人の始期
1 人の始期は出生である。
出生前の生命体を胎児といい、胎児の生命は堕胎の罪によってのみ保護される。
<学説>
・陣痛説
出生の時期は、分娩作用の開始としての規則的な陣痛の始まった時である。
(理由)
「自然の分娩期に先立つ胎児の人工的排出」という堕胎の定義を前提とすれば、堕胎罪と殺人・致死傷罪の領域を「自然の分娩期」をもって区別すべきである
(批判)
①分娩開始の確認が困難②胎児がまだ母体内にあって、直接その生命・身体に対する攻撃の客体となりえない段階で、これに対する殺人罪まで認めることは、早きに失する
・一部霹出説(判例)
胎児の身体の一部が母体から露出した時が出生の時期で...