第一章 序論
1 問題の提起
インターネットの利用は、ビジネスや教育の場面でも、個人の消費や娯楽の場面でも、すっかり日本に定着している。それはしばしば、既存の放送やコミュニケーション手段の延長線上で考えられがちである。が、インターネットのもつ同時性やそれがもたらしたコンピュータ利用の普及と簡便性は、日本の文化と社会に単なる量的拡大をもたらしただけではなく、質的な変化をももたらしているように思う。
しかし、その影響は日々、少しずつ蓄積していくものなので、そのただ中に当事者としていると気がつきにくい。そこで、あえて距離を取って、現在の文化状況にインターネット利用がもたらした影響を考察してみたい。そうすることで、日本文化をダイナミックな、かろうじて動的安定の状態にあるものとして捉えてみるのだ。そして、現在の日本文化をいわば3次元の動画として、その社会構造や人々にとっての意味まで視野に入れ、新たな視角から見直してみたいのである。
2 考察の方法
社会、文化、コミュニケーション、インターネット。こういった言葉で何を指しているのか、それらがどのように関係しあうかをまず述べるべきだ、との考えもあるかもしれない。しかし、本気でそんなことをすれば、説明が続くことになっていつまでたっても本論に入れない。そこで、ここでは必要最小限の説明を加え、本稿がどのような順序で日本文化の動的実態を捉えるかが見えるようにしておくにとどめる。
「社会」。この言葉は、近代国家が確立した18世紀の英語”society”の用法を意識した明治期の訳語だと言われる。つまり、国家と区別された市民社会、まがりなりにも公権力の直接関与しないところで人間が共同してことを行う場をいうものとして。
この論文の目的は、現在社会的インフラストラクチャーの地位に近づくまでに日本社会に浸透したコンピュータ・ネットワーク「インターネット」の諸研究(村井・牧野・佐伯他)を踏まえた上で、日本社会の枠組みの中でのインターネット発展のあゆみと、これからのゆくえを考察したものである。
第一章 序論
本章では「社会、文化、コミュニケーション、インターネット」の本稿における言葉の定義、大まかな「コミュニケーション」方法発達史について概説した。
インターネットの背景とその歴史
米国発インターネットの誕生の経緯、インターネット構築網の日本と米国における発展の違い、日本における現状や問題点、インターネットの使用言語における日本語の位置について概説し、英語構築空間が量的に多くを占める日本のインターネット空間でも、インターネットにはコミュニケーションツールとして多くの可能性があり、また文化媒体でもあるということを述べる。
インターネットと文化
インターネット独特のコミュニケーション様式や表現方法という文化を基盤とした文化発信の道具としてのインターネットの可能性と現状を述べるが、個人の才能と各文化が成長する可能性...