【課題2】
1920~30年代のピカソ、ミロ、ダリの作品の一点を選んで解釈しなさい。(ただし《ゲルニカ》は除外する。)さらにその作品と同時代のヨーロッパの芸術運動との関連について考察しなさい。
今回、サルバドール・ダリの作品『子供 ─ 女の記憶』について解釈する。
『子供 ─ 女の記憶』
<作品データ>
1931年 油彩、キャンバスにコラージュ 99×119.5cm サルバドール・ダリ美術館所蔵
絵いっぱいに人間の骨盤のような、あるいは大きな馬の蹄鉄のようなものが中央に描かれている。その中央のくぼみに包み込まれるように描かれているのは、血の涙を流す男性の顔と、女性の乳房に刺さる棘を持つ真っ赤なバラである。大きな中央の物体の右上のくぼみには、伝説上の英雄ヴィルヘルム・テルについての言葉が書かれている。
この絵はダリとその父親との不仲を表しているといえる。中央に描かれた男性こそがダリの父親であり、その父の目から流れるように描かれている血の涙は、苦悩を表現している。ダリとその父と仲はなぜ上手くいっていなかったのか。ダリの父親は厳格的で威圧的な人物であり、無神論者でかつ共和主義者だった。彼はダリが学者の道を進むことを望んだが、ダリはその反対の道を選択したのだった。当時、この絵が描かれた頃、ダリとガラの交際が父には受け入れられなかった。なぜなら、ダリとガラが交際を始めた頃、ガラは人妻であり、二人の関係は「不倫」という二文字で綴られるものだったからである。ダリのとった不倫という行動に父が激怒した。だが、ダリと父との不仲はそれよりも以前からあったものである。ダリの父親は、ダリの母親が1921年に亡くなったあと、その実の妹と再婚している。ダリと父親との最初の隔離は、学生時代学校側に対する不満からデモ運動を行ったダリは、サン・フェルナンド・アカデミーから停学処分を受けたことにはじまる。ダリにとって父親は厳格な存在であり、その様子は作品の中でもうかがえる。ダリと父親との間の問題を決定的にした、といわれているのはのちの1934年11月、彼がパリにいた際にフィゲラスで買ったキリストの心臓のリトグラフをシュルレアリストに示した際、「私は面白半分で母の肖像につばを吐くことがある。」と発言した言葉が、スペインの美術評論家エウヘニオ・ドルスがバルセロナの新聞で記事にされたことである。父親はこの発言に対し激怒したという。
ガラとの関係により父親との間に亀裂が入った時期の作品である、この『『子供 ─ 女の記憶』』は、中央の物体の右外に描かれた抱擁する二人の男性像によって、ダリが父親との仲を懸念し、和解を諦めたくないと言った気持ちが表れている。また、母への呼びかけやヴィルヘルム・テルについてなどの言葉が浮かび上がっており、中央の物体に空いた穴から、ダリの悲痛の心の叫びが聞こえるようである。英雄と称されたヴィルヘルム・テルは強力かつ頑迷な英雄の物語、すなわちダリにとっての父権の物語とリンクする。ダリは重く堅い父親という存在に何度も挑戦しては傷ついていたのだろう。
では、この作品の時期が描かれた時期にダリが交際し、のちの妻となるガラと、シュールレアリスムとダリの関わりについて述べたい。ダリの人生の大きな転機となるガラとの出会いが起こるのは1929年のことである。次々と性衝動を遠慮なく描いた怪作を生み出し始めていた彼に、シュールレアリストのグループが接近する。1929年、ルイス・ブニュエルをリーダーに、詩人ポール・エリュアールとその妻をメンバーとするグループがダリを訪問してきたのだ。
【課題2】
1920~30年代のピカソ、ミロ、ダリの作品の一点を選んで解釈しなさい。(ただし《ゲルニカ》は除外する。)さらにその作品と同時代のヨーロッパの芸術運動との関連について考察しなさい。
今回、サルバドール・ダリの作品『子供 ─ 女の記憶』について解釈する。
『子供 ─ 女の記憶』
<作品データ>
1931年 油彩、キャンバスにコラージュ 99×119.5cm サルバドール・ダリ美術館所蔵
絵いっぱいに人間の骨盤のような、あるいは大きな馬の蹄鉄のようなものが中央に描かれている。その中央のくぼみに包み込まれるように描かれているのは、血の涙を流す男性の顔と、女性の乳房に刺さる棘を持つ真っ赤なバラである。大きな中央の物体の右上のくぼみには、伝説上の英雄ヴィルヘルム・テルについての言葉が書かれている。
この絵はダリとその父親との不仲を表しているといえる。中央に描かれた男性こそがダリの父親であり、その父の目から流れるように描かれている血の涙は、苦悩を表現している。ダリとその父と仲はなぜ上手くいっていなかったのか。ダリの父親は厳格的で威圧的な人物であり、無神論者でかつ共和主義者だった。彼...