例えば、ある人の所業を見て、「普通の人ならばこんなことはしない」と言った人がいるとしよう。この場合、その人が考えている「普通」というのは、そう言われた相手にとっては「普通ではない」かも知れないのである。この「普通」という日本語のあいまいさから故に生まれる「認識の差」すなわち、自分の認識する「普通」と他人の認識する「普通」とは同一ではないことが、コミュニケーションを阻害してしまうひとつの要因であるのではないだろうか。
「日本語は本当にあいまいか」
(1)私はこの講義の春学期を履修しており、その時に提出したレポートは「社会」や「場面」
という概念的なものに拘ってしまったという反省があった。そこで、今回は「日本語」、と
りわけ「普段日常的に使われている日本語」をもっと考えてみようと思った。
(2)具体的には、「日本語はあいまいである」という仮説を立て、その仮説が果たして正しい
かどうか、あるいはどこまで正しいかということについて、インターアクションを通じて
考えていきたいと思った。なぜなら、私は春学期の講義を通じて、「自分の考えていること
を相手に対して丁寧に伝えようとする意思と努力」の必要性を強く感じたのであるが、さ
らに、日本語は自分の考えていることを相手に対して丁寧に伝えるという意思と努力がよ
り一層必要なのではないかと思ったからである。
例えば、ある人の所業を見て、「普通の人ならばこんなことはしない」と言った人がいる
としよう。この場合、その人が考えている「普通」というのは、そう言われた相手にとっ
ては「普通ではない」かも知れないのである。この「普通」という日本語のあいまいさか
ら故に生ま...