ヨーロッパにおける第二次世界大戦の政治戦略のなかで、さらには、現代史における謎のなかで、今日においても大きな注目を浴びているもの、それは「現代史の怪物」とも称される独ソ不可侵条約である。当時ヨーロッパ全域への影響力を再び着実なものとしていたヒトラー率いるファシズム国家と、各国が敵か味方かも判別出来ぬまま東にそびえる最大の共産主義国家の間で結ばれたこの条約は、ヨーロッパのみならず世界を驚愕させたのである。あのチャーチルをして、「この不気味なニュースは爆発物のように世界の頭上で破裂した」と言わしめた。そこで以下では、まず独ソ不可侵条約の性格に触れたうえで、ここから浮かび上がるドイツ、ソ連、英仏各国の思惑と交渉への態度の相違について、幾許か結果論的であることは否めないが、論じていきたい。
まずは独ソ不可侵条約の基本的な性格について概観してみたい。この条約は本文と秘密議定書の二つの文章から成るものであり、本文については調印直後に発表されたものの、秘密議定書が明るみに出るのは戦後のことである。しかし、この秘密議定書の存在が英仏を始めとするヨーロッパ諸国に隠し通せるものでなかったことは明らかである。その根拠はまさに前文と7条から成る条約に表面化している。この条約によって定められたことは、両国が相手を攻撃しないこと、第三国の戦争行為の対象となるときはいかなる形によっても第三国を支持しないこと、一方が他方に対して直接間接を問わず敵対する国家群に参加しないこと、などといったものである。こうして見ると、協定された事柄が極めて単純明解であることが分かる。英仏相手の交渉の際には多くの条件をつけて交渉を難航させたソビエトが、独ソの不可侵という非常に重要な条約締結の際には、難解な条件は皆無に等しかったのである。難航極まる交渉を重ねた英仏にとって、その裏にあるものを想像することは難しいことではなかった。
「独ソ不可侵条約にみる英仏・独の交渉戦とその意義」
ヨーロッパにおける第二次世界大戦の政治戦略のなかで、さらには、現代史における謎のなかで、今日においても大きな注目を浴びているもの、それは「現代史の怪物」とも称される独ソ不可侵条約である。当時ヨーロッパ全域への影響力を再び着実なものとしていたヒトラー率いるファシズム国家と、各国が敵か味方かも判別出来ぬまま東にそびえる最大の共産主義国家の間で結ばれたこの条約は、ヨーロッパのみならず世界を驚愕させたのである。あのチャーチルをして、「この不気味なニュースは爆発物のように世界の頭上で破裂した」と言わしめた。そこで以下では、まず独ソ不可侵条約の性格に触れたうえで、ここから浮かび上がるドイツ、ソ連、英仏各国の思惑と交渉への態度の相違について、幾許か結果論的であることは否めないが、論じていきたい。
まずは独ソ不可侵条約の基本的な性格について概観してみたい。この条約は本文と秘密議定書の二つの文章から成るものであり、本文については調印直後に発表されたものの、秘密議定書が明るみに出るのは戦後のことである。しかし、この秘密議定書の存在が英仏を始めとするヨ...