武士の実力行使としてまず挙げられるのは、無礼討ちの制度である。この制度は武士が他の身分の者に対してその武力を行使できる法的身分特権であり、制定法である「公事方御定書」で認められている。また当時の道徳・倫理として、侵害された武士の名誉は死を持ってあがなうべきであるという認識があり、それゆえ無礼討ちは「無礼」を受けた武士の義務であり、家の存続にかかわれる一大事とされ、討ち損じたり、助太刀を怠ったりした武士にはそれに対する処罰も存在していたため、無礼を受けた個々の武士には相手を許す選択肢など存在しなかった。
次に挙げられるのは敵討の制度である。「敵討」とは「復讐」のことで、例えば甲が乙に殺害されると、甲の親類などが乙を殺害して恨みを晴らすという自力救済の手段の一つである。明治期になって、敵討が公権を犯す行為として禁止される(太政官布告37 号)まで、敵討に関する法文上の規定はほとんどなく、近世では敵討は忠臣孝子の情・武士道や儒教に則った行為という道徳的なものと位置づけられ、奨励されていた。
(1)武士の実力行使に関する日本近世の法規範と道徳(倫理)について
武士の実力行使としてまず挙げられるのは、無礼討ちの制度である。この制度は武士が他の
身分の者に対してその武力を行使できる法的身分特権であり、制定法である「公事方御定書」で
認められている。また当時の道徳・倫理として、侵害された武士の名誉は死を持ってあがなうべき
であるという認識があり、それゆえ無礼討ちは「無礼」を受けた武士の義務であり、家の存続にか
かわれる一大事とされ、討ち損じたり、助太刀を怠ったりした武士にはそれに対する処罰も存在し
ていたため、無礼を受けた個々の武士には相手を許す選択肢など存在しなかった。
次に挙げら...