幼児教育の常識を問う

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    幼児教育の常識を問う
    幼児教育の常識を問う!…ルソーの実像は、理想とは掛け離れていた!
    岡山県津山市立東小学校    小林幸雄
    向山実践の特長
    向山氏ほど、数々の実践を世に問い続けた実践家はいない。その集大成として、『プロ教師の教え方・向山全集』(明治図書・第1期全15巻)がいよいよ10月に刊行される。私もその編集の手伝いをさせていただいた一人である。
    昨年の7月末、五反田のホテルの一室に、向山氏がこれまで書き溜めてきた山のような原稿が搬入された。テーブルの上に置くと、原稿の山が今にも崩れそうな感じだった。その圧倒的な原稿の量に、その圧倒的なエネルギーの前に声がなかった。それは、まさに歴史に残るひとこまであった。
    さて、教育界の歴史に残る編集を進めながら、私の脳裏には、向山氏の問題提起の大きさ、奥の深さに改めて驚かされた。まだ、私が目にしたことのなかったような原稿、私が見落としていたような原稿があちこちから目に飛び込んでくるのである。編集の作業を中断し、ついつい読み耽ってしまった。
    ところで、向山実践には、これまでの実践家にはない大きな特長がある。その特長こそが、向山実践の偉大な所以である。その特長を粗くまとめると以下の5点にある。
    強い生命力のある実践。
    常に新しい問題提起を行う。
    巨大な教育課題と闘う
    ホームラン教材の開発。
    教育運動を創る。
    問題提起の評価基準
    向山氏は数々の問題提起を行ってきた。問題提起があったかどうか、その明確な評価の基準を、世界一権威のある研究誌『ネイチャー誌』を例にとり、向山氏は我々に示している。評価の方法が明確だ。それは、論文が何回引用されたということである。     『ツーウェイ』96年4月p60
    確かに、跳び箱指導、EMの授業、TOSS道徳の授業など…いずれも引用された回数、追試された報告は数知れない。
    幼児教育における問題提起
    「幼児教育の常識」を疑う必要性を唱えたのも向山氏であった。また、向山氏の手掛けた幼児教材は、あっと言う間に数十万という会員を得た。教材が届くと、毎日、山のような便りが届いたという。私の次男は、その幼児教材の恩恵を受けた一人でもある。
    さて、自由保育全盛における今の時代に、この問題提起は極めて大きい。また、『ツーウェイ』誌で7年連続して、水野茂一氏、美保氏をはじめとする専門家による幼児教育の連載が行われていることを見れば、いかに向山氏がこの分野に力点を置いているか明白である。
    これまで入学説明会で、多くの小学校教師は、「文字なんか知らなくてもかまいません。学校に任せてください。」と平気で言ってきた。 何を隠そう、私自身がそうであったのだ。
    ルソーの『エミール』を愛読していた私は、犯罪に等しい行為を平気で行っていたのである。不安げに相談する保護者に対して、平気で嘘を言っていた自分の行為を思い出すと、いまだに胸の痛む思いがする。
    今、中学3年の長男に対しても、『エミール』を意識して育てた。一日外で何回転ぶか、そこにこそ価値を置いて育てた。少しは文字に関心をもたせたらと心配する祖父母と意見が対立したこともあった。
    ところが、長男は小学校入学直後から大いに苦労することとなる。家内が授業参観に出かけてさらに驚いた。31名中、クラスで最も本読みが苦手な息子の実態に唖然として帰ってきたのだった。
    むろん、向山氏の「幼児教育の問題提起」を目にしたのは、その後であった。
    ルソーの実像は…
    数年前、期せずして手にした1冊の本・『名作はなぜ生まれたか』木原武一著(PHP文庫)に、ルソーの実像が描かれていた。
    晩年のルソーが、ある夫人から、「子供を持ったことがありましたか」と尋ねられた。それに対し、彼は、「そのような幸福にあずかることがきませんでした」と、顔をあからめて答えたという。ルソーは、嘘をついていたのである。
    9歳年下の娘と一緒に暮らしていたルソーは、何と次々と生まれてくる赤ん坊を5人とも捨て子にしていたのである。産婆が取り上げた赤ん坊を、孤児院に預けてしまったのである。その事実に、私は愕然とし、怒りにも似た思いがした。と同時に、改めて向山氏の問題提起の大きさを痛感したのであった。
    多くの教師の総和が…
    新卒六年目のこと。窓から一年生の体育の授業を見ていて、向山氏はびっくりしたという。尊敬する先輩教師は、一度も子どもを整列させず、集合のときは先生を取り囲むように思い思いに座らせ、その先生は、しゃがんで話をしたのだった。その時、整列させなくてならないという氏の固定観念が壊されたという。「跳び箱指導法」においても、向山氏は、新しい跳ばせ方を創造したのではないという。私のやったことは、仮説を与え、昔からあった運動を選択しただけだと言うのだ。 向山氏はいう。たったの一つの教育技術でも、そこには多くの教師の努力の総和があった。 『ツーウェイ』九一年五月号編集前記氏の言葉だけに重みがある。読み返すたびに謙虚な気持ちになってくるのだ。
    教師の仕事は創造性を尺度として測られるべきではない。子どもを成長させたという事実(点)でこそ測られるべきなのである。(向山洋一)
    情報提供先 -> http://www1.harenet.ne.jp/~kobayuki/youjikyouiku.htm

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