翻訳論としてのHieronymus論

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    資料紹介

    演習における研究ノート
    15 Jun 2007
    翻訳論としてのHieronymus論
    翻訳をscienceとして論じるうえでのもっとも重要な点は、翻訳とはそもそもどういうphenomenonであるかを問うことである。多くの人は現代の言語の例を用いて論じるが、過去にどういう風に理解されてきたかも問題とすることこそ、現代における用例の変遷も含めた議論をするときには重要である。ここのメモでは、the Vulgateという西欧の聖書翻訳のnormを翻訳編集した古代のラテン教父・聖Eusebius Hieronymus (c.340-420)のPammachiusあての書簡を分析し、彼の翻訳者としての在り方を再考することを通して、現代の翻訳のあり方について考える。
    I. 既成のTranslation Studies理論の問題点「word for wordかsence for senceか」
      翻訳translationとはどういう行為であり、どのような側面を持っているか。
    「直訳」と「意訳」の違いをいかに論じるかと言うことに議論が集約されてしまいがちである。
    完全な語の一致を目指すことで文全体の意味を損なってしまうことは、翻訳が試みられたHieronymus当時から知られていたことである。現代においても「dynamic and formal equivalence(Eugene Nida)」などの既成の論理展開は、結局のところ「一体何をequivalenceと認めるか」という議論であるといえる。この点は、現代になるにしたがって詳細になるとはいえ、問題設定の枠組みは、古代からほとんど変更がない。

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    演習における研究ノート
    15 Jun 2007
    翻訳論としてのHieronymus論
    翻訳をscienceとして論じるうえでのもっとも重要な点は、翻訳とはそもそもどういうphenomenonであるかを問うことである。多くの人は現代の言語の例を用いて論じるが、過去にどういう風に理解されてきたかも問題とすることこそ、現代における用例の変遷も含めた議論をするときには重要である。ここのメモでは、the Vulgateという西欧の聖書翻訳のnormを翻訳編集した古代のラテン教父・聖Eusebius Hieronymus (c.340-420)のPammachiusあての書簡を分析し、彼の翻訳者としての在り方を再考することを通して、現代の翻訳のあり方について考える。
    I. 既成のTranslation Studies理論の問題点「word for wordかsence for senceか」
      翻訳translationとはどういう行為であり、どのような側面を持っているか。
    「直訳」と「意訳」の違いをいかに論じるかと言うことに議論が集約されてしまいがちである。
    完全な語の一致を目指すことで文全体...

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