■はじめに 〜紫式部と清少納言の見解の違い〜
「竹取物語」は日本最初の「ものがたり」――つまり架空の人物や事件を題材にしてテキスト化された物語だとされている。成立は901年〜956年(延喜以後天暦以前)ごろといわれており定かではなく、同様に作者は諸説あるが現段階ではどれも確証がなく不明である。平安時代を代表する作家である紫式部も「源氏物語」(絵合せの帖)の中で、竹取物語を「物語の出で来はじめの祖(おや)」と述べている。
しかし、同時代に活躍した清少納言は「枕草子」」(物語の段)を「物語は、『住吉』『うつほ』…」と始めており竹取物語についてはなぜか一切触れていない。学問にすぐれており当時の女性としては珍しく漢文にも通じていたといわれる清少納言が、「竹取物語」だけは知らなかったとは考えにくく、これには何か理由があるのではないだろうか。
■斑竹姑娘との類似
このような考えのもとに竹取物語の起源について調べていくと、興味深い説を見つけた。中国四川省西北部のアバ・チベット族自治州に、「斑竹姑娘」(パヌチウ・クーニャン)という民話があるという。この「斑竹姑娘」は竹の中から生まれた娘が一人の息子に出会い、その後、領主の息子たちの無理やりの求婚を退け、めでたく主人公と結ばれるという話である。
竹取物語の起源
■はじめに ~紫式部と清少納言の見解の違い~
「竹取物語」は日本最初の「ものがたり」――つまり架空の人物や事件を題材にしてテキスト化された物語だとされている。成立は901年~956年(延喜以後天暦以前)ごろといわれており定かではなく、同様に作者は諸説あるが現段階ではどれも確証がなく不明である。平安時代を代表する作家である紫式部も「源氏物語」(絵合せの帖)の中で、竹取物語を「物語の出で来はじめの祖(おや)」と述べている。
しかし、同時代に活躍した清少納言は「枕草子」」(物語の段)を「物語は、『住吉』『うつほ』…」と始めており竹取物語についてはなぜか一切触れていない。学問にすぐれており当時の女性としては珍しく漢文にも通じていたといわれる清少納言が、「竹取物語」だけは知らなかったとは考えにくく、これには何か理由があるのではないだろうか。
■斑竹姑娘との類似
このような考えのもとに竹取物語の起源について調べていくと、興味深い説を見つけた。中国四川省西北部のアバ・チベット族自治州に、「斑竹姑娘」(パヌチウ・クーニャン)という民話があるという。この「斑竹姑娘」は竹の中から生まれた娘...