2021年度 中大通教 中央大学通信教育部 歴史(日本史) 第2課題 C評価

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資料紹介

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1 12世紀末から13世紀はじめ、日本では鎌倉幕府は成立しており、同時期、中国大陸では蒙古がチンギス・ハーンによって成立。その孫であるフビライ・ハーンは、中国の支配を目指して都を大都に遷し、1217年に国号を「元」と定めた。
(1) まず、元は朝鮮半島の高麗を服属させ、日本に対しても朝貢を求めたが、執権北条時宗を中心とした鎌倉幕府は、時宗は使者の首をはねて、従者に持ち帰らせ、返書を送ることを、強硬手段で断った。6回にわたって日本に服属を求めたが、拒まれ、来攻した蒙古(元)との一度目の戦いである文永の蒙古襲来は、「文永の役」と呼ばれるようになった。蒙古・高麗の三万数千人に及ぶ連合軍は対馬に上陸、さらに、博多湾に上陸して合戦した。幕府は九州に所領を持つ御家人を総動員し、防戦するも、見慣れない兵器を用いて集団戦法で攻撃してくる元軍の前に、苦戦を強いられ、大宰府への撤退を余儀なくされた。しかし、いったん船に引きあげた元軍は、暴風雨により大きな被害を受け、高麗へ撤退した。
(2) その後も、元が再襲来する可能性があったため、幕府は非御家人も含む九州津法の武士を動員し、博多湾沿いに石造の防塁を築い...

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