佛教大学通信教育課程での【日本史概論】合格レポートです。
設題 鎌倉幕府と執権政治について
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鎌倉幕府と執権政治について
はじめに
鎌倉幕府は日本最初の武家政権である。武家政権とは政権を天皇がとるのではなく、武士が政権をとり、政治を行うことである。そしてこの時代の政治の中心は源家と北条家であり、源家と北条家は重要な役割を担っていた。北条家が執権となり、幕府の実権を掌握した政治を「執権政治」という。執権とは、鎌倉幕府の役職であり、幕府を統括した最高の立場である。第三代将軍源頼朝の時、北条時政が就任し、以後、北条氏が世襲することになった。そして、政治形態は北条氏の独裁体制となり、「得宗政治」という形態へと変化していった。本レポートでは鎌倉幕府成立の概略や執権が幕府の中心となる「執権政治」の成立段階、執権が中心ではなくなった「得宗政治」について、さらに幕府の権力衰退につながる要因となった元寇についても考察を進めていく。
鎌倉幕府の成立
文治一(一一八五)年、源頼朝は壇ノ浦で平氏を壊滅させた。そして建久三(一一九二)年、頼朝が征夷大将軍の地位を獲得し、将軍の名を手に入れたことで鎌倉幕府が成立した。
鎌倉時代初期の政治体制は幕府の意見はあくまで頼朝個人の意見として示される専制支配を基調...