教育哲学(学校教育における討論、ディベート学習の必要性を問う)

閲覧数236
ダウンロード数0
履歴確認

    • ページ数 : 2ページ
    • 会員440円 | 非会員528円

    資料紹介

    教育哲学スクーリング事前レポートです。学校教育でのディベート(討論)学習の必要性について述べています。

    資料の原本内容 ( この資料を購入すると、テキストデータがみえます。 )

    教育哲学 事前レポート
    「学校教育における討論(ディベート)学習の必要性を問う」

     哲学的に思考するということを簡単に表すならば、既にある事物について深く思考し、その真理を追求することである。哲学的に思考することで、その事物に対する新たな概念が現れる。また、意味や意義を問い続けることで、再度価値付けされることもある。様々な事物の真理を探究して行く立場にある教員として、”哲学的に思考する”ことはとても意義があると考える。
     学校教育における討論を通じて育成する資質・能力についてとても共感している。言語能力やコミュニケーション能力育成が期待でき、児童が自主的に活動できる学習内容であると考える。一方で、討論のテーマとその結論、討論までの過程について疑問に感じる点がある。今回は、討論学習の意味について哲学的に吟味することで討論と討論で扱われているテーマについて言及していく。
     まず討論という言葉を辞書で引いてみると『(明治10年代からdebateの訳語として用いるようになった)真理をたずねきわめて論ずること。お互いに議論をたたかわすこと。』(広辞苑第6版)・『その問題について是非を議論するこ...

    コメント0件

    コメント追加

    コメントを書込むには会員登録するか、すでに会員の方はログインしてください。