老人と海
サンティアゴとマノリン。
彼らは輪廻する一輪だ。
マノリンのように、サンティアゴは幼少期を過ごしただろう。
私は幼い時、兄が何かを作ったり直したりするとき、隣で今どんな道具が必要なのか気づき、それ
を兄にちょうどいいタイミングで渡せる能力があった。
ニッパーが必要なとき、接着剤が必要なとき、そして今はテープが必要なときなど。
7~8歳の時だったが、推測するものは90%ほど当たっていた。 私はそれが楽しかった。
なぜだろう?
私たちは輪廻する一輪、すなわち縁として繋がっていたからではないか。
きっと私は前生に何かを一生懸命に作り、直し、繕っていた。
輪廻は繰り返される生を私が生きていくと考えられるが、兄と私からも、サンティアゴとマノリン
からもその繰り返しを見つけることができる。
繰り返す。 覚えていないだけで、自分が知っていることを何度もすること。 輪廻。
老人と海を読んで、私は輪廻という言葉がたくさん浮かんだ。
目的を成し遂げるために努力する過程は極めて信仰的な考えだが、広い海に一人で浮かんでいる孤
独は人生に対する考え方を刺激するのには十分で、自分の哲学(信仰がすこし舞い降りた)を引き
出さずにはいられなくなる。
誰かは虚無(結局骨だけ残った)を思い出し、誰かは目的を得るために祈る姿(祈ろうという約束)を思
い出し、そして誰かは目的と欲が同じものであることに気づくだろう。
マカジキとサメと老人はすべて同じ欲で出発したのだ。
マノリンがサンティアゴのようになれたらいいだろうか?
反対に輪廻はいいものだろうか?
不可から、輪廻は沼で表現される。 否定的だ。
否定的なのは妥当ですか? これは私への質問だ。
私の人生と父親、母親の人生はあまり変わらない。
私の息子と娘の人生も変わらないだろう。
これが否定的でなければならないか?
決してそうではない。 老人と少年は結局、再び海に出る考えをする。
私はこれに完全に同意する。 85日の徒労を「繰り返す」それが人生だ。
読書感想文のため文献はありません。
ヘミングウェイ
老人と海