労作教育は、まず初めに宗教教育であると、小原國芳は説く。なので、まずその観点から全人教育における労作教育の意義について述べていきたい。
そもそも労作とは、肉体を労して働くという意味であるが、そういう意味で考えると、実に様々な労作があるということがいえる。つまり農作業、土木作業、動物の飼育に始まり、校内新聞などの編集・印刷・出版、食堂の補助や配膳、校内外の清掃や営繕などである。また、いわゆる委員会の諸作業・活動も、この定義から考察すると、労作であるというべきである。これらから、収穫の喜び、創造の喜び、達成の喜びなどを得ることに、一つの労作教育の意義があるのである。私の経験では、小学校で稲作や畑作を体験し、また緑化委員、放送委員、美化委員などを勤めた経験を、今労作教育的意義として認識しているである。
宗教教育の観点から見ると、勤労を喜び、感謝する。また、あらゆる職業に貴賎の差がなく、それらに従事する人々の間に根本的な上下はない、というヒューマニズムの精神が、自然に、後には実感となって教授されるのが労作教育なのであると、小原國芳はいう。つまり、人間はすべて生き甲斐を持って働くのであり、しか...