『あらゆる人は芸術家である』 これはドイツの芸術家ヨーゼフ・ボイスの言葉である。私もあらゆる人は芸術家であると思っている。ただ注意しなくてはいけないのは、この言葉の意味は、誰でも絵描きになれたり、歌手になれたりすると言う意味ではない。これは、繰り返し誤解されてきた事だ(もっとも誤解を生みやすい言葉を残したボイスにも、責任はあると思うが)。しかし生きていく上で行うことはすべて芸術になりうると考えるなら、『あらゆる人は芸術家である』ということばの意味はただちに理解できよう。ただ、このことばの言わんとする最も大切なところは、絵を描く事、歌を歌う事が、すなわち芸術というわけでは必ずしも無いということである。絵を描いていても、それが芸術になっていない事はあるはずだし、逆も然りである。つまり、『形式の中に芸術があるのではない』ということだ。芸術とは、もっとわかりやすく言えば“感動”を人に伝えていく事であろう。芸術家は、よくこれを“コンセプト”と言い換えたりする。なぜ“感動”が必要なのか?それは“感動”が無ければ、人の心を動かす事は出来ないからである。つまり、そうしなければ社会的に認められないからである。芸術は、実に単純な原則でできているのだ。この原則は、基本的に何も変わらない。西洋だろうが、東洋だろうが基本は何も変わらない。恐らく人類が発生した頃から、芸術は何も変わっていないと言えよう。芸術には様々な形式が存在するが、それには歴史的な意味がある。もちろん、そう言った歴史を無視する事は、いい事とは言えない。なぜなら、過去に生きてきた人々の痕跡はたくさんの事を私達に教えてくれるからである。だが、繰り返すが、大切なのはそう言った形式の中に芸術があるのではないということであるから、形式うんぬんでなく、感動を伝え、(美の)価値を創り出すような活動ができれば、それこそが芸術活動足り得るのだ。
芸術活動と一言に言っても様々であるが、特に印象に残っているのは、福祉施設などで芸術を通じて人々と触れ合っている芸術家の存在である。彼は、老人ホームなどで小さな展覧会を開いたり、軽度だが痴呆症をわずらった人たち一人一人と芸術を通じて積極的に交流したりする。最初はその痴呆症ゆえ引きこもりがちになっていた人たちも、次第に心を開いていく。芸術の力である。あれだけ生活に密着した現場で芸術というものを生かして活動しているは、すばらしいと思う。このような“生活の中の芸術”とは、私たちとどのように関係しているのだろうか?また、生活の中で、わたしたちは芸術とどのように接していくべきなのだろうか?
生活における芸術を考える前に、芸術そのものについて少し触れておきたい。一昔前、「芸術は爆発だ!」と言っていた人がいた。万国博覧会の『太陽』の塔などで知られる芸術家・岡本太郎である。「芸術は爆発だ!」ということばは、当時TVのCMで流されたこともあって、流行語となった。その後、このことばは、マンネリ化し、一般的には岡本太郎といえば「爆発」ということになり、芸術をいささか揶揄的に表現する場合にとりあえず「爆発だ!」...