「英語は愚民化」?
―『英語化は愚民化 日本の国力が地に落ちる』 (集英社新書)– 2015/7/17施光恒(著)を批判する―
問題点その1
まず、九州大学大学院比較社会文化研究院准教授という高御座に在す著者は、はるか下位に蠢く高校における英語教育の現実や現状に無知であり無関心である。抽象的な議論は別として、この著書からそもそも英語教育をどう変えるべきか、またどう変えうるか具体的かつ説得力のある改善案の提示は皆無である。現場の生の声に耳を傾けたらしい箇所が唯一P150、
「高校レベルでは、2013年度の高校1年生からオール・イングリッシュ方式の英語の授業は既に始まっているわけだが、私が現場の教員に尋ねたところでは、飛び抜けて優秀な生徒の集まる一部の進学校は例外として、現状は、英語のみで授業を成立させることは、やはり難しいようで、文法や単語の説明は日本語でするし、和訳も当然しているとのことだった」
にあるが、微塵も肉声の感じられないこの教員は、実は架空の人物なのではないだろうか。もし本物なら、なぜこの教員はこんな誰でも思いつく一般論を淡々と語っているのか不思議である。私ならこう言う。...