課題2:世界大恐慌の原因について、諸説を整理しなさい。
1929年にニューヨークのウォール街に始まった大恐慌は、瞬く間に世界的な規模の不況に発展するところとなり、それ以後の経済学にも大きな影響を与えることになった。これまでにも多くの経済学者たちが大恐慌について説明してきたが、従来の諸説をすべて検討することは不可能であるので、本レポートでは大恐慌の原因を解明しようとした代表的六つの説に絞って、簡単に紹介したい。
複合経済循環説
この複合経済循環説とは、周期を異にするいくつかの経済循環の下降局面が、たまたま30年代に複合することによって、「深刻な状況」ないし「大不況」が生じたとする見解である。この説を代表するのは、シュンペーターとハンセンであるが、シュンペーターは「循環」理論に基づきつつ、経験的に、規模と期間を異にする三つの循環を検出した。それが、周知のような、50~60年周期のコンドラチェフ、9~10年周期のジュグラー、40ヶ月周期のキチン循環のことである。そして、「1929~32年」の景気過程をこの3循環それぞれについて見ると、アメリカの好況不況の時期にピッタリと当てはまるというわけである。
経済構造原因説
大恐慌の原因を構造的特殊性と関連させて説明学説はきわめて多い。以下に構造的要因として最近で通説になりつつある四つの要因をまとめる。
(ⅰ)「所得の悪分配」
当時、人口の5%にあたる高所得者層が全個人所得のおよそ3分の1を集中するほど、所得配分が不平等であった。
(ⅱ)「悪しき会社組織」
20年代のアメリカ企業には詐欺師や収賄者が大勢はびこっていた。とりわけ、株式会社や投資信託は、支配会社からの配当金で上級持株会社の債権利子を受け取っていたため、配当の突然の中断が生ずると、それが支払い不能の連鎖を生み出した。
(ⅲ)「悪しき銀行組織」
アメリカの銀行組織は、支店設置が法律で制限されている独立的単位銀行の集合体(いわゆる単一銀行制度)であったから、一行の銀行取り付けおよび倒産がドミノ式に他行に拡がる可能性が強かった。
(ⅳ)「対外収支の疑わしい状態」
当時のアメリカは、貿易収支も貿易外収支も黒字であった。したがって、一定のアメリカの取引における赤字を埋めることが困難であった。また、対外投資はしばしば汚職や政治的危険を伴った。
経済政策失敗説
経済政策の失敗を強調する説は、概して、いわゆるマネタリストに多いが、大恐慌に関しては、フリードマンとシュワルツをもって代表とすることができる。彼らの主張としては、銀行恐慌および流動性恐慌は「収縮一般から区別されるべき」ものであり、「はるかにより特殊な現象」である。もし連邦準備当局が銀行恐慌を阻止さえしていたら、厳しい景気後退のかなりの部分が削減され、その持続期間も大いに短縮されていた。しかるに当局は、銀行取りつけの波状的攻撃に対して「最後の貸手」として充分に出動することなく、それを事実上放置した。また、貨幣量を増加させるべきときに、それを実質的に縮小した。これは「馬鹿げた政策」であった、と。
偶発的要因複合説
この説は、テミンやサムエルソンが③の経済政策失敗説を批判することからうまれた。この点に関してきわめて著名な出来事は、1965年の大不況の原因についてのテレビ討論で、フリードマンがただひとつの要因(金融政策失敗説)を主張したのに対し、サムエルソンは「一連の歴史的偶発事件」がそれを引き起こしたことを強調したといわれている。ではその偶発的要因とはいったいどんなことだろうか。
(ⅰ)当時の耐久消費財ブー
課題2:世界大恐慌の原因について、諸説を整理しなさい。
1929年にニューヨークのウォール街に始まった大恐慌は、瞬く間に世界的な規模の不況に発展するところとなり、それ以後の経済学にも大きな影響を与えることになった。これまでにも多くの経済学者たちが大恐慌について説明してきたが、従来の諸説をすべて検討することは不可能であるので、本レポートでは大恐慌の原因を解明しようとした代表的六つの説に絞って、簡単に紹介したい。
複合経済循環説
この複合経済循環説とは、周期を異にするいくつかの経済循環の下降局面が、たまたま30年代に複合することによって、「深刻な状況」ないし「大不況」が生じたとする見解である。この説を代表するのは、シュンペーターとハンセンであるが、シュンペーターは「循環」理論に基づきつつ、経験的に、規模と期間を異にする三つの循環を検出した。それが、周知のような、50~60年周期のコンドラチェフ、9~10年周期のジュグラー、40ヶ月周期のキチン循環のことである。そして、「1929~32年」の景気過程をこの3循環それぞれについて見ると、アメリカの好況不況の時期にピッタリと当てはまるというわけで...