『コミューン運動の可能性と限界』
人びとの理想社会を追求したコミューン運動には、様々な可能性と限界がある。生活の基準を一定にし、ある種の運命共同体になろうとするこの運動は人びとの目にとても魅力的に映る。しかし、これらの運動は必ずと言ってよいほど崩壊の過程を辿る。人びとの理想社会実現を目指したこの運動がなぜ崩壊するのかと言うことに注目し、この矛盾を私なりに考えてみることとする。
コミューン運動が崩壊する原因はいくつかあるが、その1つに掲げる理想が高すぎるということがいえるだろう。例えば、ヤマギシ会の理念である『全人幸福』がその良い例であると考えられる。そもそも、全ての人が幸福な社会などありえるのだろうか。これは私個人の意見だが、幸福とは他の誰かの代償によって生まれる物だといえる。また、ある人にとっては幸福なことでも他の誰かにとっては幸福でないと言うこともありえる。そういった意味では、『全人幸福』という理想は壮大すぎると私は考える。もちろん理想としてそれを追求していくことに意味があるのだろうが、一方で冷静に「これはあくま...