教師論
中江藤樹
江戸時代初期の儒学者で、「わが国陽明学の祖」といわれている。慶長3年、近江に生まれ、15歳の時に祖父のあとをつぎ、伊予大洲藩の藩士となる。27歳の時、母への孝養と身体の健康を理由に辞職し、村へ帰る。そして、藤樹は藤樹書院で外面的、形式的な秩序重視の朱子学を修めたが、後半にいたって陽明学を修め、『翁問答』を著した。陽明学とは「良知を正しく実践すること(知行統一)が大切であり、良知にいたるには孝が大切である。そして、その孝の基本とは愛敬であり、愛敬の徳は通じないところはない。」という内面重視の学問だ。
ディースターヴェーグ
彼は模範学校の教師時代にペスタロッチーの教育思想に出会い、深く傾倒した。その後、ラテン語学校副校長時代に年少労働者の群れと機械的詰め込みの教育を見たことをきっかけに、国民学校の改革をしようと決意する。そして、国民学校の教師養成改革のため、ベルリンの教員養成所長となり、国民学校の改革を行った。ペスタロッチーの合自然という考えから教育における自己活動の重要性を見出した彼は、教員には自己活動を展開させることを求め、また教員の資質を自らも進みつつある...