このような労働者を工業社会に輩出するために、かつて共同体で養われていた未発達な子ども達を学校がその教育を引き受けた。情報収集が可能となるだけの読み書き能力をつけさせる。割り振りされた役割を効率的にこなせるために、時間割で時間を遵守する事を訓練させる。学校は立派な社会人になるための「よい子」を生産しているのだ。内申書に恐れて授業中席で固まっている子ども達や、生徒として望ましい制服や髪形を遵守する子ども達は、極端に言ってしまえば奴隷である。だがそれもまた、社会に進出した際に必要な姿勢なのだ。
前近代と近代の子どもには大きな違いがある。見た目はその一つである。オニギリのような顔つきは食生活の変化で顎が丸くなった。精神面にも違いが見られる。かつての子どもは意欲的であったが、現代の子ども達はそうではない。勉強をする意図は分からないが「良い子」になるために疎みながらも机に向う子ども達が増えてきている。そして何よりも少年犯罪やキレやすい子どもが増加し、近年それが社会問題とされている。
これらの子どもの変化は、人間形成の変化を物語っている。その原因は社会のしくみの変化にある。
かつての日本は農耕型社会であった。人は共同体の中にいた。そこでは他者との関係が濃厚だった。他者と関わり、経験を共有した。人々は共通性を認め一体感や絆を感じながらも、影響し合い差異性を見つけていた。共同体の中の子ども達は、養われる・模倣するの関係で繋がっていた。だが工業型社会になり、共同体は崩壊した。生まれの地から離れ都市へ繰り出すようになり、核家族が増えたからである。人との関わりが希薄になって他者に揉まれる事も少なくなり、自意識が強くなった。そして共働きの親の増加により、子ども達はますます孤独になった。
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