西洋史(アレクサンドロス大王の東方遠征、その後のヘレニズム世界)

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    資料紹介

    紀元前334年、マケドニアの王、アレクサンドロスは約4万の兵を率いてペルシアへ遠征した。それは約10年間にマケドニアからペルシア本土、そしてインドにまでおよぶ大遠征であり、東西に及ぶ大帝国を建設し、ギリシア文化とオリエント文化が融合したヘレニズム世界を作り上げた歴史的大遠征である。ここでは、アレクサンドロス大王の遠征と、ヘレニズム世界について述べていく。
    ・アレクサンドロス大王の東方遠征
     紀元前5世紀に起こったペルシア戦争では、ギリシア各地で成立した都市を中心とした小国家、ポリスは力を合わせペルシアを破った。しかし、

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     紀元前334年、マケドニアの王、アレクサンドロスは約4万の兵を率いてペルシアへ遠征した。それは約10年間にマケドニアからペルシア本土、そしてインドにまでおよぶ大遠征であり、東西に及ぶ大帝国を建設し、ギリシア文化とオリエント文化が融合したヘレニズム世界を作り上げた歴史的大遠征である。ここでは、アレクサンドロス大王の遠征と、ヘレニズム世界について述べていく。
    ・アレクサンドロス大王の東方遠征
     紀元前5世紀に起こったペルシア戦争では、ギリシア各地で成立した都市を中心とした小国家、ポリスは力を合わせペルシアを破った。しかし、紀元前5世紀末から紀元前4世紀にかけては、ポリス間で絶え間なく戦争が繰り返されてしまった。こうしたギリシアを制服したのが、北方のマケドニアのフィリッポス2世である。そしてその後を継いだのが、子のアレクサンドロスであり、フィリッポス2世が暗殺されてしまった後に20歳で王に即位する。
     アレクサンドロスは父を継ぎ、ギリシア諸都市の反乱を鎮圧し統一すると、紀元前334年ペルシア遠征を開始し、同年に小アジアに上陸したギリシア軍は、グラニコス川の戦いでペルシア軍を破り、小アジア西...

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