現代のお稽古文化とその利点
「じゃあね、私四時から書道の稽古があるからもう行くわ」「ごめん、俺今日昼から部活あるから遊べないねん」このような会話が日本では日常茶飯事だが、日本ではお稽古文化が昔から浸透している。しかし、昔のお稽古と、今のお稽古は少し意味が違う。どこが違うのかというと、昔のお稽古といえば主に芸術や武術の世界で厳しい訓練を行いわざを磨くという意味となっているのに対し、現代のお稽古は芸術や武術だけでなくスポーツや勉強など、範囲が広がっている。以下の段落では現代のお稽古文化がどのようなものになっているのか、そしてそのメリットは何かについてふれていきたい。
はじめに、小学校までの「お稽古」についてみていきたい。幼稚園や小学校には、部活動がないところが多いから、たいていの日本人の親は子供に習い事をさせる。ピアノ、書道、英会話、そろばんなどが定番であろうか。私自身も、小学校のときはそろばんとピアノを習っていた。これらのお稽古は教室も多いし、小さい頃からやっていれば後々役に立つことが多い。たとえば、外国語ははじめる年齢が低ければ低いほど頭に入りやすいし(リスニング能力などが養われる)、ピアノに関しても幼少のころからやっているとより絶対音感を身につけやすい。また、はやいうちから習い事をさせることにより、お稽古中や授業中の態度をわからせることができる。小学生の中には授業中静かにしていられない子がいるが、そのような子には何か習い事をさせるべきである。
次に、中学・高校の「お稽古」についてみていくことにしよう。中学・高校のお稽古は主に部活動がある。練習の厳しさや拘束時間についてはそれぞれの部活によって様々であるが、部活加入率は依然として高い。中には部活の加入を強制している学校もある。中高生は、お稽古がもっともさかんな時期ではないだろうか。部活動をしていた人にとって、中高時代の最高の想い出として記憶に残っている場合が多い。
一方、大学生の「お稽古」は、高校までの「お稽古」とはかなり違う。大学は高校までとは違て入学する時点からすでに年齢的には大人である。大学は世間や法律では「大人」と認識されている年齢の人達に、モラトリアム機能を利用して四年間「好きなことをさせる」ところである。ゆえに、お稽古といっても様々なものがあるし、高校までと違って自主性も重んじられている。いわゆる体育会系の部活でさえ、拘束時間が少なく、個人練習を重視しているところも多い。部活やサークルだけでなく、アルバイトやボランティアも現代のお稽古の一種といってもいいであろう。また、たまり場となっているだけのサークルや、飲み会ばかりのサークルなどもあり、「お稽古」とはいえないサークルもたくさん存在する。
就職して社会人になってからでも定年退職したあとでも「お稽古」を行う人は多い。年をとっても楽器を演奏したり、芸術に手を染めることは可能である。日本では、すべての年代において、お稽古文化が浸透している。
では、なぜこのようにお稽古文化が未だにさかんなのであろうか。お稽古を学ぶことにはどのような利点があるのか。第一に、お稽古をすることによって学校では身につけることのできない知識・技術が身につくことである。習い事をしなくても学校に通って授業を受ければ最低限の知識を身につけることはできるが、その身につけることのできる知識には限界があるし、学校で教養として学ぶ知識は多くの人が持っている。また、学校の教育は体育などの実技を除いてほとんどが座学だ。座学だけでは、本当に知識が身についたかどうかわからないし、
現代のお稽古文化とその利点
「じゃあね、私四時から書道の稽古があるからもう行くわ」「ごめん、俺今日昼から部活あるから遊べないねん」このような会話が日本では日常茶飯事だが、日本ではお稽古文化が昔から浸透している。しかし、昔のお稽古と、今のお稽古は少し意味が違う。どこが違うのかというと、昔のお稽古といえば主に芸術や武術の世界で厳しい訓練を行いわざを磨くという意味となっているのに対し、現代のお稽古は芸術や武術だけでなくスポーツや勉強など、範囲が広がっている。以下の段落では現代のお稽古文化がどのようなものになっているのか、そしてそのメリットは何かについてふれていきたい。
はじめに、小学校までの「お稽古」についてみていきたい。幼稚園や小学校には、部活動がないところが多いから、たいていの日本人の親は子供に習い事をさせる。ピアノ、書道、英会話、そろばんなどが定番であろうか。私自身も、小学校のときはそろばんとピアノを習っていた。これらのお稽古は教室も多いし、小さい頃からやっていれば後々役に立つことが多い。たとえば、外国語ははじめる年齢が低ければ低いほど頭に入りやすいし(リスニング能力などが養われる)...