私がまず権利のための闘争を読んで感じたことは、ドイツと日本では考え方が明らかに違うこともあるということだった。国によって考え方もいろいろだし、それぞれの国で本当に違うのだと改めて感じた。そのために本の中で言われていることに同意できるものもあればよくわからないなあと思うようなこともあった。
まず、私が一番初めに違うなあと感じたのは、ドイツ人は訴訟嗜好症であるということであった。実際にデータを確認したわけではないので本当の所はわからない。しかし、ここにはそう書かれていて、非常にびっくりした。なぜなら、私たち日本人は訴訟を避ける傾向があるとほかの本で読んだからだ。日本人は白黒はっきりさせるのを非常に嫌う。それなのに、ドイツでは訴訟をしたがる。国民性の違いだと感じた。
この本で言いたかったのは上に述べてきたことではないのはわかっているが、少し気に
なった点なので、書いた。
ではこの本はいったい私たちに何を伝えてくれているのだろうか。この本を読んだ人それぞれに考え方は違うが、私なりに感じたことを述べたいと思う。
まず、私はこのタイトルにとてもひかれた。訴訟・裁判というように熟語で表現せずに、権利のための闘争という形で表現しているからだ。裁判・訴訟と書かれただけだったなら、私は平和・権利の本当のあり方や、私たちが今忘れていて思い出さなければならないことを思い出すことはできなかったであろう。
私たちに保障されている権利は闘争によって勝ち取られたものであり、決して神から与えられたものではないというのがよくわかった。しかし、この本に書かれているように、権利は闘争によって勝ち取られたなどと考えたことはないに等しい。なぜならば、私たち日本人は平和な中で暮らしていて、戦争で自分たちの土地や財産を奪われることもないからだ。
私がまず権利のための闘争を読んで感じたことは、ドイツと日本では考え方が明らかに違うこともあるということだった。国によって考え方もいろいろだし、それぞれの国で本当に違うのだと改めて感じた。そのために本の中で言われていることに同意できるものもあればよくわからないなあと思うようなこともあった。
まず、私が一番初めに違うなあと感じたのは、ドイツ人は訴訟嗜好症であるということであった。実際にデータを確認したわけではないので本当の所はわからない。しかし、ここにはそう書かれていて、非常にびっくりした。なぜなら、私たち日本人は訴訟を避ける傾向があるとほかの本で読んだからだ。日本人は白黒はっきりさせるのを非常に嫌う。それなのに、ドイツでは訴訟をしたがる。国民性の違いだと感じた。
この本で言いたかったのは上に述べてきたことではないのはわかっているが、少し気に
なった点なので、書いた。
ではこの本はいったい私たちに何を伝えてくれているのだろうか。この本を読んだ人それぞれに考え方は違うが、私なりに感じたことを述べたいと思う。
まず、私はこのタイトルにとてもひかれた。...