スワン家のほうへ 第二部スワンの恋より、スワンとオデットの出会いの場面について取り上げる。
問題となるのは、フィレンツェ派の画家ボッティチェルリによる、システィナ礼拝堂の壁画「エテロの娘・チッポラ」である。
1)テクストについて
ⅰ)スワン
スワンは裕福で、美に対する好みも一流であった。フェルメールの絵を発掘し、それについて評論を書けば相当のものを残す可能性もあったほどだ。そしてまた、彼は恋多き男でもあった。しかし、彼の女性に対する好みはとても限定されていたようである。
まず原文に、
「彼が自分では気がつかずに求めていた肉体的特質は、彼の好きな巨匠たちが彫ったり描いたりした女性たちに彼がささげていた賛美の特質とは正反対のものであったからだ。奥深くて憂愁をたたええた表情は、彼の官能を凍らせ、逆に健康な、ぽってりした、ばら色の肉体が、彼の官能を目ざめさせるのであった。」(井上究一郎訳)
とある。
健康な、ぽってりした肉体というと、母性を思わせる描写である。ラファエロの絵をモデルに考えると、想像がつく(ハンドアウト参照)。ラファエロによる聖母マリアのような、そんな女性をスワンは求め続けてきた。スワンは多すぎるほどの女性を愛人にするが、そのような恋愛は母性を求めてのことであったのかもしれない。スワンは美しいと思った女、きれいだと思った女を手に入れてきたようだが、その美しさの基準はやはり上記のような「健康な、ぽってりした、ばら色の肉体」ということであった。
ⅱ)オデット
オデット・ド・クレシーは裏社交界の女と書かれている、教養という点ではスワンとまったくつりあっていない女性であった。ヴェルデュラン夫人には「かわいいかた」と言われている。オデットとスワンの出会いは、友人からの紹介によるものだったが、オデットと出会ってからしばらくの間は、スワンにとってオデットは自分の好みではない女として分類されていた。
原文に、
「われわれの官能が要求するのとは反対のタイプの女の一人だというふうに映ったのであった。彼が気に入るにしては、横顔はとがりすぎ、肌はよわよわしすぎ、頬骨は出すぎ、顔立はやつれすぎていた。目は美しかったが、いかにも大きくて、それ自身の重さでたわみ、そのために残りの部分は、疲れをおびて、いつも色がわるく、不機嫌そうなようすに見えた。」(井上究一郎訳)
とある(ハンドアウト参照)。
この描写は、ⅰ)に書いたスワンの好みとは正反対であり、ラファエロの絵とも似ても似つかないものだ。ボッティチェリの描いたシモネッタや聖母像を見ると、まさしくこの原文の描写が当てはまっていることに驚かされる。オデットとスワンの間に一目ぼれはなかった。スワンは「彼女のもっている大した美貌が自然と自分が好きになれたような種類の美貌ではないことを残念に思うのであった」(井上究一郎訳)という文章からもわかるように、オデットを美しいとは思いながらも、女性としての魅力はあまり感じていなかった。
オデットのほうはというと、たびたびスワンのもとを訪れ、スワンに対して大変好意的な態度を示していた。
ⅲ)転換点
スワンが天啓を得たかのように、突然にオデットを愛し始めるのは、彼が好きなボッティチェルリによる壁画の「エトロの娘・チッポラ」(ハンドアウト参照)にオデットが似ていると気づいた瞬間からである。
「彼のかたわらに立ち、ほどいた髪を頬づたいにすべらせ、版画のほうに楽にかがめるように、軽く踊るような姿勢で片足をまげ、気がひきたたないときの疲れをおびて沈んだ大きな目で頭をかしげながら版画に見入っている彼女
スワン家のほうへ 第二部スワンの恋より、スワンとオデットの出会いの場面について取り上げる。
問題となるのは、フィレンツェ派の画家ボッティチェルリによる、システィナ礼拝堂の壁画「エテロの娘・チッポラ」である。
1)テクストについて
ⅰ)スワン
スワンは裕福で、美に対する好みも一流であった。フェルメールの絵を発掘し、それについて評論を書けば相当のものを残す可能性もあったほどだ。そしてまた、彼は恋多き男でもあった。しかし、彼の女性に対する好みはとても限定されていたようである。
まず原文に、
「彼が自分では気がつかずに求めていた肉体的特質は、彼の好きな巨匠たちが彫ったり描いたりした女性たちに彼がささげていた賛美の特質とは正反対のものであったからだ。奥深くて憂愁をたたええた表情は、彼の官能を凍らせ、逆に健康な、ぽってりした、ばら色の肉体が、彼の官能を目ざめさせるのであった。」(井上究一郎訳)
とある。
健康な、ぽってりした肉体というと、母性を思わせる描写である。ラファエロの絵をモデルに考えると、想像がつく(ハンドアウト参照)。ラファエロによる聖母マリアのような、そんな女性をスワンは求め続けてきた...