近世城郭に関する考察

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    進級して本格的に城に興味を持ち始めた私は、今年5月に会津若松城を訪れた。鶴ヶ城(会津若松城の俗称)北口でバスを降り、高い石垣に囲まれた北出丸へと入ると、石垣の上に天守閣が顔を出している。そして北出丸の反対側の門・西門は、堀の向こうに天守閣が良く見えるベストスポットである。
    しかし、城郭構造の初歩を学んだ現在の目で見るとこれはおかしいではないか。北出丸から天守閣の写真が良く撮れる城など、堅城とは到底言い難い。
    戊辰戦争の激戦地となった会津若松城は、余りに長大過ぎた惣構えこそ役に立たなかったが、城郭部分のみの防御で1ヶ月以上も篭城に耐えたという堅城であったはずである。
     幸い会津若松城の正保城絵図はすぐに見つけることができたが、それによる往時の会津若松城の姿は、北出丸は横矢掛けのきく2箇所の虎口に守られ、郭を成す石垣の上には更に屋根付きの塀が乗っていたことが分かる。
    これならば北出丸から天守閣を見透かされることは無い。それどころか、屋根付きの塀と虎口、そしていくつかの櫓を伴うと、この出島は急に堅固な防壁へと変貌する。これは本丸に続く他の2つの出島・西出丸、二の丸においても同じであるから、周...

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