ゲーテによって書かれた「Die Leiden des jungen Werthers(若きウェルテルの悩み)」から約200年後、ウルリヒ・プレンツドルフによって「Die neuen Leiden des jungen W.(若きWのあらたな悩み)」が出版された。この200年の間に世界は変動し、二人のW(ウェルテルとヴィーボー)の悩みも全く変わったものになる。現代を生きる若者の気持ちを、プレンツドルフは現代風に生まれ変わったWによって語らせているのだろう。
私は講義で“若きWのあらたな悩み”の一部に触れ、はっきり言って戸惑った。ドイツ語で書かれた俗語だらけの文を訳するのは容易ではなかったし、意味もよくわからなかった。そこで何かの手がかりにならないかと思い、ゲーテの“若きウェルテルの悩み”を読んだ。するととにかく私はウェルテルの話が気に入った。
しかし、それでもなかなか“若きWのあらたな悩み”を理解することができなかった。こうなったらその本を探し、全文を読むしかないと思った。なかなか見つからなかったが、やっとの思いで手にいれ、一気に私は“若きWのあらたな悩み”を読んだ。全部を読んで一部ではわからなかったヴィーボーのことがやっとわかった(ヴィーボー(Wibeau)という名前でさえ私はきちんと理解していなかった。私はずっとヴィーバウだと思っていたが、ヴィーボーであり、この話の中で彼は、職業学校の研修指導教官がヴィーバウと間違えて呼んだことに腹が立ち、重い鉄板をその教官の足に投げつけている。彼は“落とした”と言っているが)。私はヴィーボーという人物に共感する点がいくつもあった。だから彼がウェルテルを批判するとき、私はおかしくて仕方なかった。
この“若きWのあらたな悩み”は“若きウェルテルの悩み”をもとにして書かれている。だが、違うところがいくつもある。まず、ウェルテルはロッテへの愛のため自殺する。ヴィーボーはしかし、自殺などしない。彼は事故死するのだ。
レポート、国際関係学、若きWのあらたな悩み、ゲーテ、ドイツ文化
~「Die Leiden des jungen Werthers(若きウェルテルの悩み)」と
「Die neuen Leiden des jungen W.(若きWのあらたな悩み)」を比較して~
ゲーテによって書かれた「Die Leiden des jungen Werthers(若きウェルテルの悩み)」から約200年後、ウルリヒ・プレンツドルフによって「Die neuen Leiden des jungen W.(若きWのあらたな悩み)」が出版された。この200年の間に世界は変動し、二人のW(ウェルテルとヴィーボー)の悩みも全く変わったものになる。現代を生きる若者の気持ちを、プレンツドルフは現代風に生まれ変わったWによって語らせているのだろう。
私は講義で“若きWのあらたな悩み”の一部に触れ、はっきり言って戸惑った。ドイツ語で書かれた俗語だらけの文を訳するのは容易ではなかったし、意味もよくわからなかった。そこで何かの手がかりにならないかと思い、ゲーテの“若きウェルテルの悩み”を読んだ。するとと...