あまりにも短文ゆえ随筆とみなされても仕方がない掌編。しかし分量の少なさとはかけ離れた、複雑な意匠が込められている。
志賀直哉「朝顔」論―その小説的構造の探究―
Ⅰ
岩波版最新全集第九巻の後記によれば本作品は、昭和二十九年一月一日発行の「心」に「小説」として発表された。私小説家である志賀の作品には小説と随筆との間に明確な線引きの困難なものが少なくない。芥川龍之介の衝撃的な自殺に触発されて書かれた「沓掛にて」も雑誌発表時および一巻本全集収録時には随筆扱いであったが、九巻本全集では短編を収録した第五巻に入れられている。この間の事情を作者自身「続創作余談」で以下のように語っている。
「(随筆扱いするべきか小説として扱うべきか)明確な区 別を私はしていない」が、「頼まれて書く普通の追悼文 とも少し変わってい」て「書く気持がもう少しむきだった ような気もしている点で、短編に入れたことを、自分は悔 いていない」
また志賀の高弟阿川弘之が「一時間かそこらで書き上げられた、書画に例えれば一筆書きの、それでいて異常な深さと美しさをを持った作品」と評しているように、一読しただけでは随筆と変わらないあっさり味の小品としか思えないかも知れない。しかし具に分析のメスを加えてみると、意外にも作者の鋭い観察眼が随所に冴えわた...