「取引的不法行為と事実的不法行為」
論題
使用者責任に関して事実的不法行為(非取引的不法行為)に外形理論を適用することの可否について、判例において取引的不法行為につき外観主義の要素を加味した外形理論が述べられていることと対比して論じる。
取引的不法行為における外形理論
民法715条1項は「或事業ノ為メニ他人ヲ使用スル者ハ被用者ガ其事業ノ執行ニ付キ第三者ニ加ヘタル損害ヲ賠償スル責ニ任ズ。」としており、被用者の事業の執行時における第三者への不法行為については損害賠償の責任を負わせることを定めている。では、この「事業ノ執行ニ付キ」というものの範囲をいかに規定すべきであるのであろうか。この範囲について判例が示しているのが外形理論であると考えられている。そもそも条文に示されている内容を忠実に解釈するならば、使用者の事業の範囲内、または被用者が使用者に与えられている職権の範囲内にて行った行為のみにて第三者に損害を与えた場合とするのが妥当である。
しかし、これでは適用の機会があまりにも狭くなってしまうため立法趣旨が充分に生かされない、そこで範囲を事業の執行に関する等に拡大し注1、判例は職権濫用等にも対応できるようにしたものと考える。そのような中で、この「事業ノ執行ニ付キ」の範囲を対外的に示す基準として判例が挙げたものが、「「事業ノ執行ニ付キ」とは、被用者の職務執行行為そのものには属しないが、その行為の外形から観察して、あたかも被用者の職務の範囲内の行為に属するものとみられる場合をも包含するものと解すべき」(最判昭40・11・30民19巻8号2049頁)である。これは、外観上「事業ノ執行」であると正当な理由から信頼した第三者を保護することを趣旨としている。これが外形理論と解されており、客観的に外形より事業の範囲内と認識できたとき「事業の執行」と見なすとされている。また、否定例としては、被用者が職務権限外の手形振出行為を行った事例(最判昭52・9・12民31巻5号767頁)において、外形の成立に第三者に悪意・重過失があるとき(正当な理由のないとき)のみに外形の成立を認めないとしている。
外観主義は、本来は外観作出に有責あるものは、その作出した外観を信頼した者に対して、責任を負うというものである。しかし、取引的不法行為の外形理論においては、使用者・被用者の関係によって、すでに外観上の作出が常にあるという特殊なケースであり、外観作出の使用者の免責が考慮されることはほとんど期待できず、客観的外形と第三者の関係のみにより成立するものと考えられる。民法715条1項の「事業ノ執行二付キ」が認められた後の但書の免責事由については、外形理論が成立する時点で逃れることは困難となると考える。
では、事実的不法行為(非取引的不法行為)に外形理論を適用されるのかを検討することとする。
事実的不法行為での判例
被用者が私用のため会社の自動車を運転中し第三者に不法行為を行った事例①(最判昭39・2・4民18巻2号252頁)において、「被用者の行為の外形を捉えて客観的に観察したとき、使用者の事業の態様、規模等からしてそれが被用者の職務行為の範囲内に属するものと認められる」としたものがあり、外形理論が適用された例と考えられている。
外形理論が否定された例としては、被用者が自家用車を用いて出張中に第三者に不法行為を行った事例②(最判昭43・1・30民22巻1号63頁)、注2
私見
判例は取引的不法行為では明らかに外形理論を用いていると判断するが、事実的不法行為(非取引的不法行為)においては単に客
「取引的不法行為と事実的不法行為」
論題
使用者責任に関して事実的不法行為(非取引的不法行為)に外形理論を適用することの可否について、判例において取引的不法行為につき外観主義の要素を加味した外形理論が述べられていることと対比して論じる。
取引的不法行為における外形理論
民法715条1項は「或事業ノ為メニ他人ヲ使用スル者ハ被用者ガ其事業ノ執行ニ付キ第三者ニ加ヘタル損害ヲ賠償スル責ニ任ズ。」としており、被用者の事業の執行時における第三者への不法行為については損害賠償の責任を負わせることを定めている。では、この「事業ノ執行ニ付キ」というものの範囲をいかに規定すべきであるのであろうか。この範囲について判例が示しているのが外形理論であると考えられている。そもそも条文に示されている内容を忠実に解釈するならば、使用者の事業の範囲内、または被用者が使用者に与えられている職権の範囲内にて行った行為のみにて第三者に損害を与えた場合とするのが妥当である。
しかし、これでは適用の機会があまりにも狭くなってしまうため立法趣旨が充分に生かされない、そこで範囲を事業の執行に関する等に拡大し注1、判例は職権濫用等に...