外国史B 課題2

閲覧数1,680
ダウンロード数2
履歴確認

    • ページ数 : 8ページ
    • 会員1,100円 | 非会員1,320円

    資料紹介

    合格レポート。レポート執筆の参考にご使用ください。
    課題内容は下記、資料の原本内容に記載されております。

    参考文献
    『ドナウ・ヨーロッパ史』 南塚信吾編 山川出版社
    『ハプスブルクの実験:多文化共存を目指して』 大津留厚 中央公論社(新書)
    『ハプスブルク帝国史』 G.シュタットミューラー 矢田俊隆解題・丹後杏一訳 刀水書房
    『ハプスブルク帝国1809−1918』 A.J.P.テイラー 倉田稔訳 筑摩書房
    『ハプスブルク帝国史入門』 H.コーン 稲野強他訳 恒文社
    『図説 チェコとスロヴァキア』 薩摩秀登 河出書房新社
    『図説 ハンガリーの歴史』 南塚信吾 河出書房新社
    『ユーゴスラヴィア現代史』 柴宜弘 岩波書店

    資料の原本内容 ( この資料を購入すると、テキストデータがみえます。 )

    外国史B 課題2

    アウスグライヒ時代の民族問題について、次の事項に留意してリポートしてください。

    ボヘミアにおける二つの言語令をめぐる民族対立

    ガリツィアのポーランド人とウクライナ人

    スロヴァキア人とハンガリー化(マジャール化)政策

    南スラヴ人の統合構想。
    1.ボヘミアにおける民族対立

    1879 年にターフェが首相に就任すると,憲法に基づいて政治を行い「「すべての民族を適度にバランスのとれた不満の状態に置いておくこと」が自らの政策」であることを述べる[コーン1982:p.112]. 1880 年 4 月にターフェはチェコ人の支持を得る目的で「シュトレマイアーの言語令」を制定し,ボヘミア•モラヴィアにおけるチェコ語の地位が認められる[薩摩 2006:p.98].これによって,チェコ語はボヘミア•モラヴィアの教育や行政において,ドイツ語と平等に扱われることとなる.結果として次第にチェコ人を始めとするスラブ系の諸民族出身の官僚が多数輩出され、高等教育を受けたチェコ人のブルジョワが経済生活と政治生活の両方で支配的な地位に就くことも珍しくはなくなった.ターフェの政策によってボヘミアは...

    コメント0件

    コメント追加

    コメントを書込むには会員登録するか、すでに会員の方はログインしてください。