中東地区とはインド以西のアフガニスタンを除いた西アジアと北東アフリカの総称となっている。日本においては中東とイスラム圏を混同しがちであるが、厳密には異なる。というのも、確かに中東にはイスラム教聖地が存在するものの、中東地域でもイスラエルはユダヤ教を主教とする国家だし、レバノンはキリスト教信者の方が多い。加えて、中東各国のイスラム教信者(ムスリム)は世界各国のそれと比べると、存外少ない。もっともムスリムが多い国家はインドネシアで、次点がパキスタン、続いて中国、バングラディッシュと並び、中東国家の名前が見えるのは7番手以降になる。とはいえ、中東がイスラムとの関係が薄くないことも事実であり、イスラム教2大宗派スンニ派・シーア派のそれぞれの政権間でいざこざが起こることもしばしばである。地理的には日本の秋田県からマニラまでの緯度に存在し、それ故に気候も多様で、5000メートル級の山脈も複数存在する地域である。また最近の時事から、中東というと治安の悪いイメージを持たれがちだが、実のところ、テロリズムや内紛が起こっているのはごく一部の地域であり、かえってドバイやUAE(アラブ首長国連邦)においては、場合によっては日本よりも良い治安を保っていたりする所もある。
中東と言えば原油。こればかりは疑い様のない認識であろう。これを裏付けるデータは後述するとして、とりあえずは中東と原油の最近の歴史を辿ることにする。
明確な中東による中東による原油生産が開始されたのはOPEC設立からだと考えられる。OPEC設立以前の中東石油は、ほとんどが国際的に原油市場を寡占していた国際石油資本(石油メジャー)によって採掘され、売買されていた。それが1952年に産油国側の了承を得ずに原油価格を引き下げたところ、産油国が猛反発し、石油会議をカイロにて開催。原油価格を改正する際にはあらかじめ通告するように要求したが、石油メジャーはこれを退けた。そこで1960年に中東を中心とした産油国はイラクの呼びかけに賛同して石油輸出機構(OPEC)を設立した。1972年リヤド協定をもって、石油採掘事業自体を石油メジャーからOPECをはじめとした産油国に移され、原油価格の決定権は段々とOPECに移っていくことになる。この時点での原油価格は1バーレルあたり2〜3ドルであった。
この価格が大きく揺らいだのが第1次石油危機である。第4次中東戦争が直接的なトリガーとなって発生したこの事件は、それまでの原油価格を4倍近く上回る11ドル前後まで高騰させた。現UAEなど重要な産油国が1971年から1973年までに次々と石油資源の国有化を進め、これをもって価格管理の権限を大きく掌握。戦争という状況下のため、同時にOPECは石油戦略を発動し、イスラエルを支援するアメリカやオランダといった西側諸国に対して原油供給を断絶し、更に価格そのものを引き上げたことがこの高騰の原因である。この余波が日本にも大きな打撃を与えた。高度経済成長は終わりを迎え、産業の血液とも言える石油が途絶えただけで目も当てられない騒ぎとなった。
しかし次なる高騰の波は79年に訪れる。イラン革命を背景とした第2次石油危機である。革命政府が石油供給を削減し、また混乱期には供給そのものが停止したため、当時の原油価格は1バーレルあたり29ドルにまで上昇し、最高で80年の35.48ドルとなった。しかしながら、この事件で日本が以前の石油ショックを踏襲し、省エネルギー化などを推していたために比較的騒ぎにならずに済んだというのはよく聞く話である。
こうしてしばらくすると、石油供
中東地区とはインド以西のアフガニスタンを除いた西アジアと北東アフリカの総称となっている。日本においては中東とイスラム圏を混同しがちであるが、厳密には異なる。というのも、確かに中東にはイスラム教聖地が存在するものの、中東地域でもイスラエルはユダヤ教を主教とする国家だし、レバノンはキリスト教信者の方が多い。加えて、中東各国のイスラム教信者(ムスリム)は世界各国のそれと比べると、存外少ない。もっともムスリムが多い国家はインドネシアで、次点がパキスタン、続いて中国、バングラディッシュと並び、中東国家の名前が見えるのは7番手以降になる。とはいえ、中東がイスラムとの関係が薄くないことも事実であり、イスラム教2大宗派スンニ派・シーア派のそれぞれの政権間でいざこざが起こることもしばしばである。地理的には日本の秋田県からマニラまでの緯度に存在し、それ故に気候も多様で、5000メートル級の山脈も複数存在する地域である。また最近の時事から、中東というと治安の悪いイメージを持たれがちだが、実のところ、テロリズムや内紛が起こっているのはごく一部の地域であり、かえってドバイやUAE(アラブ首長国連邦)においては、...