「抽象絵画」とカンディンスキー
はじめに
抽象絵画はロシア出身の画家ワシリー・カンディンスキー(Wassily Kandinsky Vassily Kandinsky ヴァシリー・カンディンスキー)にその始まりを見るのが一般的である。講義で受けたように、その絵画の不思議な魅力に心惹かれた。そこで今回のレポートでは抽象絵画の起こりとカンディンスキーについてまとめていく。
1、「抽象絵画」を示唆する発言
もともと抽象的なパターンを用いて日常の物事や建築物を形作ることに関して、その歴史は古く、今日では人間の根本的な衝動に近いものではないかと考えられている。しかし、現代において一般的な意味合いにおける、つまり意識的に「純粋な造形要素の組み合わせによる自律的な世界を作り出す」、いわゆる「抽象絵画」が始まったのはやはり20世紀に入ってからのことである。
その一つの例としてドイツの美学者ヴォリンガー(1881-1965)による『抽象と感情移入』(1908)が発表されたことが挙げられるであろう。この著書によって彼は「抽象的なパターンの繰り返しによって日常の事物や建築物を飾ろうとする装飾活動は、人間の根本的な衝動にもとづいたもの」であると既に指摘していたのであるが、その「根本的な衝動」を超えて、意図的、意識的に抽象絵画を描くことが当時の芸術運動の中で認められ始めていたということである。
他に「抽象絵画」を示唆するような有名な発言としては、絵画のことを「線と色彩の持つ力ゆえにのみ興味深い」(詩人ボードレール Charles Baudelaire, 1821-1867)としたもの、「絵画の本質的な特質は何よりもまず感覚の喜びにある」(批評家ウォルター・ペイターWalter Horatio Pater 1839-1894)として「あらゆる芸術はつねに音楽の状態に憧れる」として予測したもの、また1913年には「今や新しい芸術への道は開かれた。その新しい芸術は、従来の観念による絵画に対して、あたかも文学に対する音楽のようなものになるだろう」(アポリネールGuillaume Apollinaire, 1880 - 1918 随筆『キュビズムの画家たち』)と現実に起きた運動に結びつくまでになる。この第一次世界大戦(1914-1918)直前期に「抽象絵画」を示唆する発言が集中していることは重要なことである。
2、「抽象絵画」の確立
先にも触れたように、抽象芸術に向かう傾向は西洋歴史の中でも幾度となく見ることができるものであった。それがどのようにして今日ある「抽象絵画」としての位置を確立したかであるが、一般には1911年頃ミュンヘンで制作されたカンディンスキーによる絵画がその祖とされている。しかし、その制作年に対して疑惑があることと、同じ1911年頃に他の画家たち(ピカピア《ゴム》、ロベール・ドローネ、レジェ、クプカ、バルラ、ラリオノフなど)によっても「抽象絵画」と呼ぶことのできる絵画が制作されていたことが重なっており、現状ではよく分かっていない。恐らくカンディンスキーが今日その祖とされているのは、彼が美術理論を明確に打ち出しており、その活動を研究する上で理解しやすかったことなどが考えられるのではないだろうか。
ただ言えるのは、この第一次世界大戦直前期に、いくつかの芸術の中心地(パリ、モスクワなど)において直接あるいは間接的に互いに刺激し合いながら、全く新しい芸術表現を確立しようという動きが各地で相乗的に見られ、その結果「抽象絵画」が生まれたことである。
3、カンディンスキ
「抽象絵画」とカンディンスキー
はじめに
抽象絵画はロシア出身の画家ワシリー・カンディンスキー(Wassily Kandinsky Vassily Kandinsky ヴァシリー・カンディンスキー)にその始まりを見るのが一般的である。講義で受けたように、その絵画の不思議な魅力に心惹かれた。そこで今回のレポートでは抽象絵画の起こりとカンディンスキーについてまとめていく。
1、「抽象絵画」を示唆する発言
もともと抽象的なパターンを用いて日常の物事や建築物を形作ることに関して、その歴史は古く、今日では人間の根本的な衝動に近いものではないかと考えられている。しかし、現代において一般的な意味合いにおける、つまり意識的に「純粋な造形要素の組み合わせによる自律的な世界を作り出す」、いわゆる「抽象絵画」が始まったのはやはり20世紀に入ってからのことである。
その一つの例としてドイツの美学者ヴォリンガー(1881-1965)による『抽象と感情移入』(1908)が発表されたことが挙げられるであろう。この著書によって彼は「抽象的なパターンの繰り返しによって日常の事物や建築物を飾ろうとする装飾活動は、人間...