西洋近代絵画と「日本趣味」
はじめに
西洋の近代絵画には、日本の浮世絵や小物などが描かれることが多く見られる。とくに名前を挙げるならば、背景に浮世絵版画を並べたゴッホ《タンギー爺さん》、日本屏風と版画を描いたマネ《エミール・ゾラの肖像》、妻に着物姿をさせて描いたモネ《日本衣装の女》、孔雀の屏風を描いたルノワール《シャルパンティエ夫人と子供たち》、他にドガ、ピサロ、ゴーギャン、ロートレック、ボナールなど数え切れぬほどの画家がいる。
なぜ異国の文化をこれほどまでに取り入れ表現したのか、何に彼らは興味を持ったのか、またそのことによって何を表現しようとしたのか興味を持ったので、今回のレポートでは参考文献に沿ってこの「日本趣味」をまとめてみたいと思う。
1、「日本趣味」の流れ
ロマン派(もしくはロマン主義;〔romanticism〕一八世紀末から一九世紀の初めにかけてのヨーロッパで、芸術・哲学・政治などの諸領域に展開された精神的傾向。近代個人主義を根本におき、秩序と論理に反逆する自我尊重、感性の解放の欲求を主情的に表現する。憧憬・想像・情熱・異国趣味と、それらの裏返しとしての幻滅・憂鬱などが特徴:以上辞林より引用)以来、西洋では東方世界に対する憧れが高まっており、この風潮と、人間が本来的に持つ見慣れぬものに対して抱く好奇心から来る「異国趣味」とが結びつくことで、1860年代頃から日本に対して神秘的なイメージを伴った興味が生まれ始めた。
この段階では、小説家ゴンクール兄(1822-1896 弟の死後 『歌麿』1891 『北斎』1896 発表)弟(1830-1870)、画家ホイッスラー(James Abbott McNeill Whistler 1834-1903)などの作品に顕著な「日本趣味」が見られる。この流れに重要な役割を果たしたのが1860年代初めにパリのリヴォリ街にできた骨董店「中国の門」であった。
このような異国趣味的な「日本趣味」が主であった1860年代にあっても、さらに推し進めて日本の浮世絵の「造形表現」を取り入れていたのがマネ(Édouard Manet, 1832- 1883)である。マネは浮世絵独特の平坦な色彩表現や明確な輪郭線の平面構成を自ら再現することで自分なりの解釈によって日本的な手法を試みていた。さらに、異国趣味を全く考えず単純に「造形表現」にのみ関心を置いたのがドガ(Edgar Degas, 1834- 1917)であった。彼は他の画家がそうしたように、日本の衣装や屏風などのアイテムだけを登場させることによって異国趣味的な「日本趣味」を表現したわけではなく、アンバランスな構図・大胆な表現法・平常の視点からずれた画面構成など浮世絵からの技法を多く取り入れることによって自分の絵画の肥やしとしたのである。
一方これに対してゴッホ(Vincent van Gogh, 1853- 1890)やゴーギャン(Eugène Henri Paul Gauguin 1848- 1903)は、異国に対する憧れと新しい「造形表現」としての魅力とが一つとなったすえに独特の絵画様式を生み出したと位置づけられている。とうのも彼らは日本趣味によってエキゾティックな世界を表現したわけではなく、従来の印象派的な表現からの逸脱の一つの段階として、まったく異なる表現法として浮世絵などからその造形性を学び、自らの表現世界へと昇華させたからである。
一言に「日本趣味」と言っても、小物を登場させるなどのあくまでエキゾティスムの効果を狙ったロマン派からの流れを受ける異
西洋近代絵画と「日本趣味」
はじめに
西洋の近代絵画には、日本の浮世絵や小物などが描かれることが多く見られる。とくに名前を挙げるならば、背景に浮世絵版画を並べたゴッホ《タンギー爺さん》、日本屏風と版画を描いたマネ《エミール・ゾラの肖像》、妻に着物姿をさせて描いたモネ《日本衣装の女》、孔雀の屏風を描いたルノワール《シャルパンティエ夫人と子供たち》、他にドガ、ピサロ、ゴーギャン、ロートレック、ボナールなど数え切れぬほどの画家がいる。
なぜ異国の文化をこれほどまでに取り入れ表現したのか、何に彼らは興味を持ったのか、またそのことによって何を表現しようとしたのか興味を持ったので、今回のレポートでは参考文献に沿ってこの「日本趣味」をまとめてみたいと思う。
1、「日本趣味」の流れ
ロマン派(もしくはロマン主義;〔romanticism〕一八世紀末から一九世紀の初めにかけてのヨーロッパで、芸術・哲学・政治などの諸領域に展開された精神的傾向。近代個人主義を根本におき、秩序と論理に反逆する自我尊重、感性の解放の欲求を主情的に表現する。憧憬・想像・情熱・異国趣味と、それらの裏返しとしての幻滅・憂鬱などが...