【日大通信】国文学基礎講義_ 分冊2 合格レポートです。
H25-26年度課題「室生犀星の「かげろうの日記遺文」にある「兼家は三つの扉の前を往反しながら、ついに、どのような果敢ない結論にすら達しないで、冴野を見まもっていた。ということの理由について説明しなさい」
終わり際の分析の説得力が弱まってしまった点は残念ですが、それ以外は概ね説得的に述べられていました」との講評をいただきました。
参考用にお使いください。
「兼家は三つの扉の前を往反しながら、ついに、どのような果敢ない結論にすら達しないで、冴野を見まもっていた」ということを、言葉通りに解釈するのであれば、「兼家は、時姫・紫苑の上・冴野の三人の間を行ったり来たりしながらも、誰か一人だけを選び、幸せにするという決断ができないまま、冴野を見まもっていた」と解釈できるだろう。
この時代は一夫多妻制であるため、妻や女が複数存在することは、世間的に不自然なことでも罪なことでもない。兼家自身もまったく悪びれることなく、他の女の話を妻にしたり、堂々と他の女の元へ通ったりする。ただ、当の女たちにとっては、夫が他の妻・女の所へ通うことは、辛く悲しいことであるのは現代と変わらない。
時姫は、「殿はご自身でほかに女をおつくりになり、わたくし達の心をいびつになされて居られます。それがお気づきにならない筈がないのに、何時もご都合のよいことばかり仰有っていらっしゃいます」と兼家に訴えるが、「それはやみがたい平安の世のならいであることも、そなたは知っている筈なのだ」と悪びれる様子もない。また紫苑の上も、道綱の出産後、偶然兼家が他の女(冴野)に宛てた手紙を見つけてし...