王安石と新法
1021年から1086年までを生きた、宋の政治家。宋は文治主義に基づく官吏の増加や、対外消極策による契丹族・タングート族などの北方民族の圧迫に対処するための防衛費の増加などによって、財政は窮乏し、軍事力も弱体化していた。この問題を解決するため、神宗が宰相に起用したのが王安石である。彼の、一般に新法と呼ばれる改革策は、富国強兵を目指す社会政策であった。しかし、この新法は地主、裕福な商人、特権階級にある官僚などの利益を抑え、損ねるものであったため、保守的な旧法を支持する人々が強く反対し、また実施するうえでの不手際、不徹底が重なることで、成果を挙げることなく王安石は退任を余儀なくされ...