ルソーの「新しさ」――完全なる近代化について
ルソーの教育思想の近代性について考えるとき、一般によくいわれるのは、子どもの自由な身体活動や感覚的経験の重視、言葉や書物中心の教育への批判、残酷な体罰や強制的教育への批判、子ども期固有の幸福な時間への配慮などであるが、ここではルソーの教育思想を、「ルネサンス的近代性」と「19世紀後半以降の近代性」の狭間に立つ過渡期的な思想として、その「新しさ」がどのような点だったのかということについて、森田(1999)を参考としてとらえ直したい。
はじめに、ルソー以前の、エラスムスやロックらによるルネサンス的教育というのがどのようなものだったかというところから確認していきたい。端的にまとめると、ルネサンス以来の近代的教育は、礼儀作法と、古典語の教育を重視したものであった。礼儀作法の教えとは、「人との交際において、どのようにふるまえば人々から好意と尊敬をもって受け入れられるか」というものであった。このことに関するふるまいのルールは、シビリテ(civilite)とよばれた。古典語教育とは、純粋な古典ラテン語を、教養ある人々の生きた社交の言葉として、その価値を再確認するものであった。この場合も、人との交わりにおいて、教養のある人だと思われるための言語教育だったのであり、その根底においてはやはり礼儀作法が意識されていた。
ルソーがルネサンス期の近代性を批判したのは、まさにこの礼儀作法と古典語の教育についてであった。彼はこのような教育について、「何一つ美徳を身につけないで、あらゆる美徳の外観を身につけた」ものだと指摘した。エラスムスらにとって、外観とは、人々の内面を表す記号を意味するものであったのだが、ルソーにとっては、外観とは相互の不信と疑惑の温床であった。礼儀作法が行き渡れば全ての人間が同じ外観をもつようになる。すると人々はさらに記号を差異化して、ますます複雑な作法を積み重ねる。外観はもはや人々の内面を表す記号ではなく、内面を覆い隠すヴェールとなり、人々は互いにそのヴェールの下を疑心暗鬼で探りあうのだ、ということである。このルソーの主張の頃から、社会的規範の力点が、外観や行為から、内面の良心や感情へと移行するようになる。
では、このような内面的道徳をどのような教育によって実現しうるのか。このことについてルソーは、『エミール』の中で、自分の自然の欲求に忠実でありながら、かつ、社会的義務を果たすことできる一貫した人間(たぐいまれなる人間)をつくる技術の問題として語ることになる。ロックらとルソーの考えの違いは、子どもという存在の位置づけ方にあった。ロックらにとっては、子どもはすでに社会的存在であり、他者との相互的関係性の中にある。子どもは他者から好意を持たれる喜びを知っているが、どのようなふるまいが他者からの好意をもたらすのかを知らないため、それを教えるためには、相互行為の実地訓練と、大人による理性的な説得が必要であると考えた。一方、ルソーにとって子どもとは前社会的な存在であり、肉体的な快・不快の感情による自然的な情念しかもたない存在であった。自然的な情念を抑制する力は、物理的な力(絶対的事実の力)であるべきとし、理性的説得による教育の無効を主張した。ルソーによると、理性による教育が必要となるのは、子どもが思春期を迎えてからだという。思春期までは自然的情念によって自己は絶対的な存在として見なされていたが、思春期に他者を意識するようになることによって、自己が他者との関係性によって位置付けられる相対的な存在となる。他者を意識
ルソーの「新しさ」――完全なる近代化について
ルソーの教育思想の近代性について考えるとき、一般によくいわれるのは、子どもの自由な身体活動や感覚的経験の重視、言葉や書物中心の教育への批判、残酷な体罰や強制的教育への批判、子ども期固有の幸福な時間への配慮などであるが、ここではルソーの教育思想を、「ルネサンス的近代性」と「19世紀後半以降の近代性」の狭間に立つ過渡期的な思想として、その「新しさ」がどのような点だったのかということについて、森田(1999)を参考としてとらえ直したい。
はじめに、ルソー以前の、エラスムスやロックらによるルネサンス的教育というのがどのようなものだったかというところから確認していきたい。端的にまとめると、ルネサンス以来の近代的教育は、礼儀作法と、古典語の教育を重視したものであった。礼儀作法の教えとは、「人との交際において、どのようにふるまえば人々から好意と尊敬をもって受け入れられるか」というものであった。このことに関するふるまいのルールは、シビリテ(civilite)とよばれた。古典語教育とは、純粋な古典ラテン語を、教養ある人々の生きた社交の言葉として、その価値...