戦前期における日本の貿易構造について
1858年の日米修好通商条約により日本は貿易を開始した。貿易の開始により、幕藩制的流通機構は解体され、製糖業は破滅、綿業は再編、絹業は輸出産業として発展するなど国内産業に変化が見られた。
綿花は輸入されるようになり、綿花栽培農家は稲作へ転換した。また綿糸も輸入されるようになったが、これが日本で加工されたことによって、紡績業への発展に繋がった。絹業では、生糸の輸出が増加したことで養蚕が発展した。ここで得た外貨が兵器の輸入に使われることとなる。綿花は輸入して綿製品として輸出しているため、輸出が増えると輸入も増えるが、生糸は国産であるため、輸出するとそのまま黒字となる。そのため、綿に比べて生糸の方が貿易貢献度が高く、外貨獲得産業となった。生糸が輸出されることで、国内市場で絹製品の流通が減少し、幕藩的流通機構が解体された。
その後、明治政府が押し進めた殖産興業により、日本の資本主義は確立された。日本から輸出される品目は、1870〜79年で食料品(主に茶)が38.7%、原料用品(主に生糸)が39.6%となっている。また輸入では全製品(主に機械)が50%を占めている(*1)。主要な輸出入先...